nakaji art

我が心と身体が捉えた美について

タグ:MIYAKE

行ってまいりました。
MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事 チラシ

衣服を着るとは「一枚の布をまとう」ことであるというコンセプトのもとに
三宅氏は今日に至るまで自らのデザインを追求してきました。

それは「服」という我々にとっての日用品、工業製品でありながら、
氏の高い志を具現化したアートでもあります。

今回の展覧会では「三宅一生の仕事」と題して、
氏のデザイナーとしての今日に至るまでの歩みを辿ることのできる
三部構成となっています。

展覧会の開催に合わせて、
スマートフォン用のアプリ(無料)とオーディオガイド(500円)が
配信されています。

オーディオガイドは会場の外でも解説を楽しむことができるので、
改めて展示作品をを振り返る際に便利です。

下記はアプリ(Android用)のトップページです。
MIYAKE ISSEY展 アプリ トップページ

アプリを起動して展覧会のチラシに向けると、三宅氏の服を纏ったヴァーチャル・モデルが現れ、
様々なポーズをとります。
下記のように写真撮影も可能です。
MIYAKE ISSEY展 アプリ チラシ 3D ヴァーチャル モデル

展覧会のサイトに表示されたチラシ見本でも読み取れました。
MIYAKE ISSEY展 アプリ チラシ 3D ヴァーチャル
会場に入ると、三宅氏の作り出す色彩と形の独創性と美しさに圧倒されました。

「一枚の布」というコンセプトを頑ななまでに真摯に追求すると、
見慣れているはずの衣服も芸術となるのだなと深く感動しました。

馬の尾の毛を用いて作られた服はまるで風を含んだ羽衣のように
緩やかな襞をつくりつつマネキンの身体を軽やかに包んでいます。
服の向こうに尾をなびかせて草原を疾走する馬の姿が浮かんできました。

他にも会場内には
最新のテクノロジーを用いて作られた一本の糸から直接作られる服や
プリーツを織る機械が設置され、実演もされています。

中でも「132 5. ISSEY MIYAKE」と題された服には驚きました。
折りたたむと星形や五角形などの一枚の布になるのですが、
人間の身体が纏うと立体的な衣服が立ち現れてきます。
まさに三宅氏が追求してきた「一枚の布を纏う」というコンセプトとテクノロジーが
融合したアートと言えます。
ちなみにタイトルの「132 5」という数字は、
「1」が一枚の布、「3」が衣服としての三次元立体構造、「2」は畳まれた平面、
「5」は身に纏うことにより時間と次元を超えた存在になることを意味しているそうです。
こちらの「132 5」シリーズの展示の傍には、
VTRの手順を参考にしながらミニチュアの服を小さなマネキンに着せることができるコーナーが設けられています。折り畳まれた一枚の布が立体的な美しい服に変化する不思議を実体験してみると新たな感動が生まれるかもしれません。

会場の出口付近には三宅氏の服を使った映像作品も上映されています。
壁一面の巨大スクリーンに投影されているのですが
思わず時を忘れて見入ってしまうほどにシュールで美しい作品です。

展覧会場の外のショップでは、
図録やTシャツ、バッグ、缶バッチ、ハガキなどのグッズが売られています。
図録とハンカチを購入しました。
MIYAKE ISSEY展 図録 カタログ

MIYAKE ISSEY展 グッズ ハンカチ

ご興味を抱かれた方は是非。

三宅一生展公式サイト
http://2016.miyakeissey.org

「MIYAKE ISSEY展:三宅一生の仕事」が2016年3月16日(水)から6月13日(月)まで
国立新美術館にて開催されております。

そこで、より展覧会を楽しんでいただくために、以下に「20 世紀のファッションと芸術文化」と題しまして、
20世紀のファッションの展開が近代以降の芸術文化の展開においてどのような意義を持つのかを
以下に大きく4つの年代に分けて概観することに致します。


1900~20年代のファッション
20世紀初頭の女性のファッションは矯正下着、主にコルセットによって身体を締め付け、胸と腰を前後に突き出させ、ウエストを極端に絞るという着る服の形に合わせて肉体を矯正することが主流であった。医学的な面からしても健康を害するこれらの拷問器具として悪名高いコルセットは、飛躍的に発展した鋼鉄技術と「ファムオブジェ」たる19世紀の女性達の理想像が合間ってエスカレートしていく。その流れに抗ったのが、新進デザイナーのポール・ポワレであった。ポワレが1906年に発表した、コルセットを用いず、身体を無理に締め付けることのない革新的とも言えるドレスは新たなファッションの流れを生み出した。
1911年にウィーンを訪れたポワレは、ウィーン工房のモードへの斬新な試みに衝撃を受けた。この工房はグスタフ・クリムトを会長とするウィーン分離派の建築家ヨーゼフ・ホフマンによって1903年に設立されたもので、室内装飾、家具、食器、服飾などを総合的にデザイン・製作していた。その特徴をよく表すものは、幾何学的でグラフィカルなテキスタイル・デザインであった。
ロシア・アバンギャルドの影響を受けたココ・シャネルのアール・デコ風の幾何学パターンを施したシンプルなデザインのドレスがパリ・モードに持ち込まれ、一方で「贅沢な貧困」と揶揄されながらも普及していった。

1930~40年代のファッション
1940年から1944年までナチス・ドイツの占領下にあったパリでは、その統制によりオートクチュールの衰退が余儀なくされた。戦後はクリスチャン・ディオールの「ニュールック」に象徴されるパリ・オートクチュールが復活を見たものの、かつての輝きを取り戻すことはできなかった。
ドイツに1919年に設立された芸術とデザインの総合研究施設であり、企業体でもあったバウハウスは1933年にナチスによって閉鎖されたものの、第二大戦後はアメリカに亡命したラスロ・モホリ=ナギを始めとする芸術家達によって1937年にシカゴで再開された。その教えを受けた芸術家達が戦争の惨禍とは無縁であったアメリカの豊かな経済力を背景に様々な分野で活躍した。一方、イタリアではフィレンツェの服飾産業がアメリカ市場にいち早く対応し、世界的なファッションの拠点となっていく。戦後のモードの主流はパリからニューヨーク、フィレンツェへと移っていくことになった。

1960~80年代のファッション
1960年代のアメリカを象徴する芸術であるポップ・アートにいち早く注目し、それを積極的にファッションに取り入れたのはイヴ・サンローランであった。アートと生活の融合が時代のスローガンであり、発展を続ける消費社会を背景にポップは20世紀のファッション史の新たな扉を開いた。
1980年代の経済発展を遂げた日本からも、川久保玲や山本耀司、三宅一生といった世界的に注目されるファッション・デザイナーが現れた。彼等に共通するのは、これまでモードの主流であった西欧の価値観に揺さぶりをかけ、「着る」とはどういうことかを再考させるようなファッションを次々と打ち出している点である。当初は「ボロ服」などと揶揄された川久保の穴の空いた服も、今では新たなファッションの形として受け入れられている。衣服を纏うという行為の原点に立ち返ったともいえる「一枚の布」にこだわる三宅のデザインもこれまでのファッションに対する固定観念を打ち壊し、新たな地平へと我々を導くであろう。

1990年代以降のファッション
西欧社会でそれまで信じられてきた上流から下層にむけてのファッションの模倣と普及という流れは90年代以降に流行したストリート・ファッションによって真逆であることが明らかとなった。大衆消費社会の進展とともにオートクチュールを始めとする高級服産業は表舞台を降り、多数派のテイストがファッションを支配していくこととなる。その代表ともいえるのがジーンズをベースにしたニューヨークの黒人居住区が発祥のヒップホップやロンドンを発信地とするパンクをテイストとするストリート・ファッションである。前者が人種差別、後者が階級差別に対する反抗から生まれたファッションであったが、パリ・コレ等の旧体制のシステムを巧みに利用して世界的なファッションの主流となったという皮肉な側面も無視できない。
日本の原宿などの繁華街を発信地とする漫画やアニメのテイストを取り入れた「Kawaii(=かわいい)」ファッションも、その独自のテイストが世界的に注目を集めている。また、ユニクロを始めとする大量生産の既製服、ファスト・ファッションが世界市場を席巻してもいる。

まとめ
以上のように、ファッションとは、単に身体を布で覆い隠すという人間の日々の営みを超えて、社会的、文化的、政治的な流れとは切り離すことのできないコミュニケーションの手段であり、アイデンティティの表明である。ファッションとは言わば欲望と憧れの体現であり、そのテイストを強烈に打ち出すリーダーによって牽引されていく。多様化する価値観と目まぐるしく変化し続けるコミュニケーション手段の行き交う現代社会において、服を「着る」という行為そのものを我々一人一人が改めて見つめ直す必要があるだろう。

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