ということで、私の応募作を以下に公開したいと思います。


まずは各マスコットの特徴を紹介した1分24秒ほどの動画(アニメーション)をご覧ください。



ご覧頂いた方はお気づきと思いますが、
動画に登場するマスコット達には既に名前がついています。
正式採用作品の名前はデザイン決定後にプロによる応募によって決定するらしいですが、
審査途中で作品を公開することで応募規定違反による失格となり、
晴れて自由の身となった愛すべきふたりの我が子たちには作者自身が自由に名前をつけてあげました。

オリンピック・マスコットが「ナギ」。
パラリンピック・マスコットが「ナミ」。

名前の由来は『古事記』に記された国産み神話に登場する神々である「イザナギ」と「イザナミ」から。

応募時は胸に着けられていた大会エンブレムは権利の関係で使用できず、
それぞれ仮のものに差し替えています。


以下が実際に提出したデザイン案(胸のエンブレムは除く)です。

まずオリンピックのマスコットから。
オリンピック マスコット mascot Tokyo 2020 基本 東京

オリンピック mascot マスコット 競技別 東京 Tokyo 2020
オリンピック マスコット 表情案 東京 2020 Tokyo mascot
【制作意図】

日本最古の漫画とも称される国宝《鳥獣人物戯画》に登場するウサギがモチーフとなっている。今や世界中の人々を魅了し、各国語にもなった日本の「Manga(=マンガ)」文化の原点ともいえる《鳥獣人物戯画》から飛び出したウサギが2020年の東京で新たな進化を遂げ、永遠の友であり、ライバルでもあるカエル(=パラリンピックマスコット)と様々な競技を通してフェアに競い合うことをコンセプトとしてこのマスコットを制作した。

【特徴】
耳には東京都の花であるソメイヨシノの花弁を蒔絵風にあしらい、顔には歌舞伎の隈取を配した。腕には古代の装身具から着想を得た炎の勾玉を装着する。尾の先や背の鬣、手足に燃える炎は日章旗を象徴し、さらにアスリート達の情熱を表す。
性格は所謂ツンデレ。冷静かつ熱い心を持ちながら人懐っこく、心優しい一面も。感情の起伏によって両耳の色彩と花の量が変化する(例:嬉しいときは花が満開。悲しいときは花吹雪など)。


続いてパラリンピックのマスコットがこちら。

パラリンピック マスコット 基本 2020 東京 Tokyo mascot

パラリンピック マスコット 競技別 東京 2020 Tokyo mascot

パラリンピック マスコット 表情案 東京 2020 Tokyo mascot
【制作意図】

オリンピックのマスコットと同様、《鳥獣人物戯画》に登場するカエルがモチーフ。絵巻の中で相撲や射的などを競い合うその躍動感に溢れた姿はまさに日本のマンガ文化の原点であり、運動競技大会(=オリンピック)を想起させ、このマスコットの制作に繋がった。2020年の東京を舞台にしたオリンピックで時空を超えて新たな進化を遂げたカエルがウサギと互いの力を尽くしてフェアに競い合う姿を世界中から集うアスリートと重ねている。

【特徴】
頭に切子細工の富士山を戴き、左右の外鰓は車鬢(歌舞伎の鬘型)および海の波を表す。これは葛飾北斎《神奈川沖浪裏》をモチーフとし、伝統と自然の豊かな日本を象徴する。腕には水の都、東京を表す水の勾玉を装着。カエルであるのに尾が生えているのは進化し続ける東京を表し、関東に生息するトウキョウサンショウウオのモチーフも含むため。
性格は明朗かつ不屈のねばり強さを持つ。感情の起伏により頭の切子細工の色が変化する。


オリンピック パラリンピック マスコット 2020 東京 Tokyo mascot
【オリンピックマスコットとパラリンピックマスコットの関係性】

我が国のマンガ文化の原点といえる《鳥獣人物戯画》の中に描かれたウサギとカエルが抜け出し、時空を超えて2020年の東京に進化した姿で蘇った。永遠の友であり、ライバルでもある両者はオリンピックの舞台で様々な競技を通して互いのベストを尽くして競い合う。哺乳類(陸生)と両生類(水生)、火と水という対極的な存在がスポーツを通して互いを認め、ともに未来へ向けて進化・発展していく多様性を二者の姿に託してもいる。


【私がデザインにこめたもの】
スポーツの祭典ということで、応募規定にも必須であると明記されているとおり、全競技種目のポーズをダイナミックに表現できるようあえてマスコットの手足を伸ばして頭身を上げ、筋肉や関節などの骨格もリアルになりすぎないように配慮しつつ運動力学的に無理のない体型に落とし込みました。

表情もただ朗らかに笑っていることをやめ、競技にのぞむアスリート達を鼓舞するような強い闘志を秘めた眼差しを与えました。その結果、可愛さという点は犠牲となりましたが (マスコットが可愛くなければならないというのもある種の思い込みなわけですが)、オリンピックには相応しい肉体表現が可能となったと自負しています。


【最終候補3案について私の思うこと】
最終候補の3案はどれも手足が短く、ぽっこりふくらんだおなかを持ち、頭でっかちのほぼ二頭身。とても運動に適した骨格をしているようには見受けられません。あのような体型でどうやって競技ポーズを表現するのか正直に言って疑問を感じます(※ここで言及しているのはあくまでマスコットの造形的な問題についてであり、パラアスリートおよび障がいを持つ方々を差別したり誹謗中傷する意図は微塵もないので誤解なきよう願います。以下同様)。あの関節のない短い脚では三輪車は漕げても競技用の自転車はうまく漕げないでしょうし……泳ぐにしても頭が大きすぎて息継ぎもままならず溺れてしまうでしょう。重量挙げも手足が短かすぎる上に大きすぎる頭が邪魔になって頭上まで持ち挙げることは困難です。
全力で地を疾走し、どこまでも高く跳躍し、ぐいぐいと水の中を泳ぎ進むといった躍動感あふれる競技ポーズがどの案からもまったく想像できないのです。

はっきり言うと、最終候補案のマスコットはどれも物産展やゲームショーなどのイベントで商品の脇に立って手を振りながら体を左右に軽くゆすって可愛さをアピールすることには適していても、スポーツイベントのマスコットとしては不適切であると私は思います。
どのマスコットからもスポーツに対する愛や情熱がまるで感じられません。

ひたすら小学生ウケを狙った「流行りのアニメやゲームのキャラに似せた、丸っこくて可愛く分かりやすい」というあざとさだけは随所に嫌というほど感じられるのですが……。一見無邪気で愛くるしい表情を浮かべる3案のマスコット達の背後に「こういったものを与えれば子供は喜んで飛びつくだろう」というマーケティングに毒された大人達の傲慢さが透けて見えるのは私だけでしょうか。

大人達が最終的な決定責任を体よく放棄する妙案として子供達に投票させるという縛りを課したがためにデザイン案を制作する側もそれを選ぶ側も「とにかく子供にウケなくては投票が盛り上がらないし、グッズも売れない」という目先の損得で頭がいっぱいになり、これが国際的なスポーツの祭典のマスコットであるという肝心な視点がまるっきり抜け落ちてしまっているのは実に短絡的であり、残念以外の何物でもないと私は考えます。