遅ればせながら3DS版『ドラゴンクエストXI』にどっぷりとハマり、つい先日、クリア(邪神撃破まで)いたしました。
この文章を綴っている最中も素晴らしいエンターテインメントを味わい尽くした後に訪れる何ともいない喪失感と寂しさ、いわゆる「ドラクエロス」に苛まれております。
発売当初は全然プレーする気はありませんでした。
Nintendo 3DS自体、持っていませんでしたし。
これほどドラクエに心を奪われたのは実に小学生の頃以来ではないかと思います。

私はファミリーコンピュータ用ソフトとして発売された第一作からリアルタイムで熱中した世代ですが、年齢が進むにつれてゲームをする時間が読書に変わり、いつしか「分別ある大人」を演じていたわけです。

それがどういうわけか、近所のイオンでソフトと2DSLL本体の同梱版『はぐれメタルエディション』と遭遇。
そのデザインの美しさに惹かれて衝動買いしてしまいました。
庶民感覚では「衝動買い」するには少々高い買い物ですが、あまり躊躇することもなく純粋に「欲しい」と思ってしまうほどそのゲーム機のデザインは細部まで作り込まれており、購買意欲をそそるものだったのです。

久しぶりの携帯ゲーム機をぎこちなく触りながら(タッチペンがどこに収納されているのかとまどってしまうあたり、かなり重症ですね)ACアダプタ(別売り)を繋ぎ、ソフトを差しこんで電源を入れます。

おなじみのタイトルロゴとテーマ曲が流れると心は一瞬にして少年時代に帰りました。
母親に「もういい加減やめなさい! ゲームばかりしてるんじゃない!」などと罵られながらもブラウン管テレビの前を離れられなかったかつての自分、ノートにちゃんと書き取ったはずのドラクエIIの「ふっかつのじゅもん」が間違っていて何度入力してもゲームが再開できず絶望にむせび泣いたあの日の自分……などなどが走馬灯のように脳裏を駆け巡りました。

さて、個人的な昔話は置いておくとして、今作についてプレーした感想です。
一言で申し上げると、すばらしい完成度でした。
シリーズ11作目にしてこの瑞々しさは驚くほかありません。
堀井雄二氏のシナリオ、鳥山明氏のキャラクターデザイン、すぎやまこういち氏の音楽が創り出す世界観が秀逸なのはもはや言うまでもないのですが、本作の開発に携わったすべてのスタッフの方々の『ドラゴンクエスト』というタイトルに対する並々ならぬ深い愛が随所に溢れている名作に仕上がっていると思います。
ゲームバランスも良いので敵が強すぎて先に進めなくなったり、レベル上げが苦痛ということもなく、次にどこに行って何をすればいいのかの情報が親切すぎるほど示されるのでついつい中断するタイミングを失ってプレーし続けてしまいます。おかげでクリアまでずっと寝不足の日々が続きました。仕事中もゲームの続きが気になってソワソワしてしまったあたりかなりの重症だったと思います。仕事を早く終えて続きをプレーしたいゲームがあるなんて本当に小学生以来なかったことです。それだけ今回のドラクエの完成度が高いということですね。ただ往年のプレーヤーからするとこのストレスのない親切すぎる設計のために難易度が低く感じられ、RPGとしては歯ごたえがないと評価されてしまうかもしれません。時間のない社会人の方にはサクサクプレーでき、クリアまで心地よい満足感を得られる絶妙な設計だと私個人は思います。

さらに3DS版では画面表示を3Dと2Dに切り替えることができるので、2Dにするとファミコン時代からの懐かしい画面でプレーすることができます。往年のプレーヤーからすると、2D画面の方がドラクエをプレーしている実感がわくかもしれません。3D表示は俯瞰ができないために表示される角度によってかなりの死角ができてしまい、建物や洞窟内では画面を大きく旋回させて全体を見なくてはいけないことが多いため、人によっては目が回ってしまうかもしれません。

それから3DS版だけのサブゲームである「時渡りの迷宮」ですが、簡単に言ってしまうとドラクエの過去作(I~X)までの世界を記した冒険の書が何者かに書き換えられてしまい、それが原因でそれぞれの世界で様々な問題が生じており、その問題を解決(クエスト)していくという内容です。つまりプレーヤーは冒険の書に入り込むことで過去作の世界を訪れることができます。あくまでミニゲームということでワープした先の町や城、洞窟の外には出られませんが、発売当時を再現したドット絵の画面や電子音によるBGMなど過去作をプレーしている数が多ければ多いほど懐かしさが感じられてよりいっそう楽しめることでしょう。

では、次にXIの本編ストーリーについて触れたいと思います。
以下ネタばれになりますので、まだプレーしていない方はご注意ください。


今作でナンバリング・タイトルとしては11作目(10作をひと区切りとして新たな1作目)ということで、原点回帰を意図したのだと思われるのですが、ストーリーの骨子はロトの勇者伝説をベースにしています。物語の舞台となる世界の名がロトゼタシアというのもロト伝説を暗示しているのでしょう。今作のエンディング(裏ボス撃破後)の最後にドラクエIIIのオープニングのシーンを持ってきていることから、時系列で言うと最新作でありながら最古の物語となっています。過ぎ去りし時を求めた後(後述)でフィールドや空飛ぶ乗り物(ケトスという名の翼の生えたクジラ)、裏ボスである邪神ニズゼルファ戦のBGMにドラクエIIIの曲を用いているのは上記のことをプレーヤーに想起させる狙いがあるのでしょう。ケトスが邪神の結界を破る新たな力を得る際に流れた不死鳥ラーミアのテーマを耳にした瞬間にファミコン時代からプレーしていた方は思わず鳥肌が立つはずです。単なる使い回しと言われればそれまでなのですが、本作では随所に過去作の曲をアレンジしたものがBGMとして用いられており、どことなく過去作を想起させるシーン(IVの武闘会のBGMがグロッタの仮面武闘会で用いられるなど)で流れると思わずニヤリとしてしまう方も多いはず。

本作の魅力は何と言ってもキャラクターにつきると思います。
特に女性達の魅力が際立っています。
主人公の母親ペルラ、幼馴染のエマから始まって、ドラクエXIは「女性達の物語」と言っても過言ではありません。
旅の仲間となるベロニカ、セーニャ、マルティナの3名は物語を進める上で主人公以上に大きな役割を担っていると言えるでしょう。
性を軽やかに超越したシルビアを除いた男性キャラの影が薄い一方で、サブキャラである人魚の女王セレン、ドゥルダ郷のニマ大使、クレイモランの女王シャールと氷の魔女リーズレット、伝説の賢者セニカなど、それぞれ生き方は違えど美しく気高い女性達が多く登場し、物語を彩ります。

プレーヤーの分身である勇者の容姿は現代日本を象徴しているのか細身でサラサラヘアの草食系男子。所謂イケメンではあるのですが勇者らしい凛々しさや力強さはなく、常にどこかぼんやりした純朴な青年という印象です。ストーリーに能動的に関わっていくというよりはどちらかというと受身で、上記の魅力的な女性達に導かれるままにストーリーが進行し、結果として世界を救ってしまったという村上春樹氏の小説に登場する主人公的な印象を受けたのは私だけでしょうか。魔王ウルノーガを倒すまではドラクエ定番のまったく捻りのない一本道のストーリーをひたすら進みます。

そして、今作のサブタイトルである「過ぎ去りし時を求めて」ですが、その意味が分かるのは魔王を倒してエンディング(仮)を迎えた後のことです。「まさかそう来るとは!」と思わず唸ってしまいました。ドラクエIIIのサブタイトル「そして伝説へ…」でもそうでしたが、副題の意味が分かる瞬間に深い感動がやってくるのはさすが堀井雄二氏だなと改めて思います。その「過ぎ去りし時を求めて」の具体的な意味はというと……

勇者たちは魔王を倒して世界に平和をもたらしたものの、その達成の過程で魔王の野望により命の大樹が地に落とされロトゼタシアは崩壊の危機に瀕し、仲間であるベロニカをはじめ多くの命が失われてしまった。かつて天空にあり、神の民が暮らしていた遺跡を探索するうちにプレーヤーは勇者の力と剣で時のオーブを壊すことにより、命の大樹が落ちる前に時をさかのぼってもう一度、犠牲者を出さない(ベロニカの死亡を回避する)形での世界の救済をやり直せるチャンスがあることを知る。ただし、時をさかのぼれるのは勇者のみ。一度時をさかのぼれば元の時空には二度と戻れない。しかも命の大樹が落ちる以前の時に確実にワープできる保証はなく、下手をすると時空の渦に巻き込まれて時の狭間を永遠にさまようはめになるかもしれない。それでも過ぎ去りし時を求める覚悟があるか?

と、クリア後にプレーヤーは世界を改変する大きな選択を迫られるわけです。

さらにここで泣かせる演出があるのですが、時のオーブを壊して過ぎ去りし時を求めることを決意した勇者の前に仲間達が立ちはだかり、「行かないでくれ」と引き止めます。ベロニカだけではなく勇者(あなた)まで失うわけにはいかない。多大な犠牲を伴ったとはいえ魔王を倒し、ロトゼタシアは平和になった。あなたは勇者としての役割を立派に果たした。もうそれで十分じゃないかと。彼等の言うことにはどれも説得力があるので、プレーヤーとしては思わず「うーむ」と考えさせられてしまうわけです。わざわざリスクをおかしてまで時をさかのぼり、もう一度世界を救うことをやり直す必要が果たしてあるのだろうかと。もちろん、この時点でゲームを終わらせて「クリア」とすることはできます。ですが、それだと堀井氏がサブタイトルにこめた真の意味は不明のまま、完全なクリアが達成されたとは言えません。

やはりというか当然というか、プレーヤーとしては過ぎ去りし時を求めざるを得ません。

勇者(あなた)の決意がかたいことが分かると仲間達はそれぞれに別れの言葉を述べながら時のオーブが設置された祭壇への道を譲ります。なかでもセーニャの一言「また私を……(過去の世界で)探し出してくれますか?」という台詞にはグッときました。ドラクエIVの勇者の旅立ちやVのパパスとの別れでも思ったのですが、堀井氏はこういう辛く切ない別離の演出が抜群に上手い方ですね。

さて、時のオーブを勇者の剣で砕いて過去へとワープするわけですが、果たして勇者は命の大樹が落ちる以前(過ぎ去りし時)へと無事たどりつけるのか。そしてその時点から魔王の野望を挫き、ベロニカを失うことなくロトゼタシアに真の平和をもたらすことができるのか。さらに魔王ウルノーガがなぜ生まれたのか。魔王の倒された世界に新たに忍び寄る強大な闇……すべての謎が解けるとき、プレイヤーにはさらなる感動が訪れます。
 この続きは本作をプレーしてご自身の目でお確かめ頂ければと思います。

 ご興味を抱かれた方は是非。


ソフトは同梱されていますが、ACアダプターは別売りなので注意。











アイテムの取り逃しなどが気になる方やクエストを制覇したい方は必携。
ふしぎな鍛冶の素材の在り処やモンスターリストもとても役立ちました。

プレステ4版もプレイしたいのですが、残念ながら現在お金と時間に余裕がありません。
これを読んでプレステ4版もプレーした気になる……わけないですよね。