生誕300年記念 若冲展 チラシ 表
生誕300年記念 若冲展 チラシ 裏

2016年4月22日から5月24日まで
東京都美術館にて「若冲展」が開催されます。
たった1ヶ月のみの開催期間ですが、
若冲の生誕300年を記念して初期から晩年までの代表作約80点が展示されます。

若冲が京都・相国寺に寄進した《釈迦三尊像》3幅と《動植綵絵》30幅が
東京で一堂に会するのは初のことです。

何とも開催が待ち遠しいのですが、
開期中は凄まじい混雑が予想されます……。
それを思うと気が滅入るのですが、
ここで《動植綵絵》が生まれた背景について
チョコっとまとめてみました。

展覧会をさらにお楽しみいただく一助となれば幸いです。

伊藤若冲と《動植綵絵》
1639年に徳川幕府の鎖国政策が完了し、以後は長崎の出島を通じて中国とオランダの二国のみが海外文化の流入先となった。中国からもたらされた本草学と南蘋画が流行する時代に生を受けた伊藤若冲(1716~1800)は家業よりも禅と絵画にのめり込み、相国寺の禅僧、大典顕常と交友を結び、37歳で若冲居士を号した。京都・錦小路の青物問屋「桝源」の家督を40歳で弟の宗巌に譲り、その後は画業に専念する。若冲の寿蔵に刻まれた大典和尚の碑文によれば、当初は狩野派に弟子入りし、その後、宋元画を模写するが、自らの理想とする絵画には辿り着けないと悟るや、鶏を庭に放し飼いにし、その生態を数年にわたって観察した後に初めて草木や他の鳥、魚や虫を描く術を心得たという。若冲は約10年の歳月をかけて30幅の彩色絹本画である《動植綵絵》を完成させた。そこには驚異的な細密描写と鮮やかな色彩により、動植物の姿が刻銘に描かれている。客観的な写実というよりも、その偏執的ともいえる細部の超絶描写は自らの生涯を捧げて森羅万象を描き出し、後世に遺したいとする若冲の気迫が漲る。南蘋画の影響を受けたであろう余白を排するその画面は息苦しいほどの無数の動植物と色彩に溢れている。

ご興味を抱かれた方は是非。
「生誕300年記念 若冲展」公式サイト
http://jakuchu2016.jp