行ってまいりました。
静嘉堂文庫美術館 展覧会「茶の湯の美」看板
二子玉川駅から徒歩にて商店街、住宅街を抜けて美術館へ。
アクセスはかなり歩く(20分くらい)上に分かりにくいです。
スマートフォンの地図機能が活躍してくれました。
お時間に余裕のない方は駅からバスかタクシーを利用することをおすすめ致します。

さて、15分ほど歩くとようやく下のような案内板が出現。
静嘉堂文庫美術館 案内板
正門入口にたどり着きました。
静嘉堂文庫美術館 正門 入口


そこからさらに小川のせせらぎを耳にしつつ橋を渡り、
静寂に満ちた広い緑地内の坂を道なりに進みます。
建物が見えてきました。
静嘉堂文庫美術館 岡本緑地
静嘉堂文庫の外観。
静嘉堂文庫 外観
こちらが昨年の秋にリニューアルされた美術館です。
静嘉堂文庫美術館 外観
さっそく館内へ。
館内はやはり撮影禁止。
お目当ては何と言っても
大名物《付藻茄子》茶入と国宝《曜変天目》茶碗です。
展示室に入ってすぐ右手のガラスケースの中に《付藻茄子》の姿がありました。
その隣には《紹鷗茄子》も展示されています。

この唐物茶入《付藻茄子》ですが、
織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康という
名だたる戦国武将の手を渡り歩いた天下無双の小壺です。
織田信長に至っては、この茶入を献上した松永久秀に
大和一国の支配を任せたと伝えられます。
掌に収まるほどの茶入が国一つに値するというのですから
現代の我々の感覚ではうまく理解できません。

信長はこの茶入をいたく気に入り、
本能寺で催す予定だった茶会にも用いようと持参していました。
ご存知のとおり、
明智光秀の謀叛により信長が本能寺の変で討たれると《付藻茄子》も罹災。
ところが、茶入はその焼け跡から奇跡的に発見され、
豊臣秀吉の手に渡ります。

大坂の陣で豊臣氏が滅亡すると、《付藻茄子》は再び戦火に焼かれます。
さらに酷いことに今度は粉々に砕けてしまいました。

茶入の命運もここまでかと思いきや、
その焼け跡から《付藻茄子》の破片を拾い集めさせ、
漆職人の名工に修復させた人物が現れます。
徳川家康です。

家康はこの《付藻茄子》を超絶技巧によって修復した漆職人の藤重藤元・藤巖父子に
褒美として与えます。

時代は明治へと移り、茶入は静嘉堂の創設者である岩﨑彌之助により購入され、
同美術館のコレクションとなり、現在に至ります。

まさに戦火を呼ぶ流転の茶入です。
そのような時代の荒波を乗り越えてきたとは思えないほど、
《付藻茄子》はどこか神秘的な光をたたえつつ、
静かにガラスケースに収まっていました。

実はこの《付藻茄子》ですが、
かつて信長の所有した同名の茶入とは別物という話があります。
本物の《付藻茄子》は本能寺の変の際に既に焼失したというのです。
果たして真相やいかに?
そのような歴史の真実や憶測をあれこれ推理しつつ
この茶入を眺めるのも楽しいかもしれません。

続いては、《曜変(稲葉)天目》です。
写真撮影できなかったのが実に残念ですが、
妖しいまでの輝きを放つ美しい茶碗です。
黒釉をかけた天目碗の内側には大小の黒い斑点が浮き上がり、
その周囲を青白い炎のような紋様が縁取っています。
まるで茶碗の中に銀河が広がっているようです。
見る角度によっては斑点の所々が虹色の光を放ちます。
じっと眺めていると、その宇宙に吸い込まれるような
錯覚を覚えました。
将軍家所蔵であったものを淀藩主稲葉家が拝領し、
代々秘蔵したことから「稲葉天目」とも呼ばれます。
現在、世界にはたったの三碗(しかもその全てが日本に現存)
しか存在しない貴重品で、国宝に指定されています。
侘び茶が全盛になる以前は最高の価値を持つ碗だったそうです。
一見の価値ありです。

リニューアル記念ということもあり、
以上の2点の他にも静嘉堂の所蔵する茶道具の名品が
多数展示されています。
展示室は一室のみですが、スペースが広く、
とても空いていたために
ゆったりと心ゆくまで観覧できました。

さて、観覧を終えて美術館を出ると、
隣接する庭園に足を踏み入れました。
静嘉堂文庫美術館 庭園のアロエ
巨大なアロエ、ではなくてアオノリュウゼツランに思わず目を奪われました。
静嘉堂文庫美術館 庭園の梅
あいにく冷たい雨の降る日でしたが、
植えられていた梅の木の蕾がほころんでおり、
季節は確実に春へと進んでいるのだと実感して、
嬉しくなりました。

ご興味を抱かれた方は是非。

静嘉堂文庫美術館Webサイト
http://www.seikado.or.jp