行ってまいりました。
京都国立博物館で12月13日より始まった特集展示「生誕三百年 若冲展」の観覧をメインに据えつつ、若冲ゆかりの地を訪ねた今回の旅。
東京駅より午前8時ちょうどの東海道新幹線に乗って定刻通りに京都に到着すると、
地下鉄烏丸線に乗って今出川駅にて下車。
まず向かった先は相国寺内にある承天閣美術館です。
入口で靴を脱いで下駄箱に収め、靴下のまま絨毯の上を歩きながら館内を観覧するというのは新鮮な体験でした。
チケット売り場の脇には御香が焚かれており、寺内にある美術館なのだなと実感します。
館内の撮影はNG。
展示室は第一と第二のふたつだけですが、室内は近代的で空調が行き届き、清潔です。
第二展示室へとむかう途中の廊下の窓から見える庭園の緑も美しい。
私が訪れた時は観覧客もまばらでとてもゆったりした気持ちで静かに絵と向き合うことができました。
第一展示室に展示されていた若冲作品は、《牡丹百合図》、《伏見人形図》、《竹虎図》などでした。
若冲お得意の「筋目描き」を駆使した墨絵の魅力を存分に堪能できます。
第二展示室には若冲が鹿苑寺大書院に描いた障壁画が保管・展示されています。
入口を入ると、まず障壁画の大きさと迫力に圧倒されます。
強すぎずやわらかい照明の当て方も行燈の灯を思わせ、絵を引き立てていました。
保存のために仕方ないとはいえ、大きなガラスケースの奥に絵が設置されているために
ガラスが反射して所々少し見辛いのが残念。
《葡萄小禽図床貼付》は葡萄の枝葉や蔓の描き方が実に洒脱で、一見大胆な勢いに任せながらも若冲特有の繊細な筆使いが光ります。
左側の飾り棚による壁面の窮屈さを逆に葡萄棚に見立てたことで作品全体に奥行きが生まれています。
よく観ると、葡萄の実の一粒一粒が微妙な濃淡を使って丁寧に描き分けられており、墨絵でありながら
瑞々しい葡萄の艶と色合いを想起させます。
芭蕉に月が描かれた障壁画《月夜芭蕉図床貼付》の方は、日本の月夜というよりはどこか南国を思わせるような異国情緒を感じさせる不思議な作品となっています。
若冲の肖像画も展示されていましたが、こちらは明治期に想像によって描かれたもの。
真の若冲の姿は謎のままということですね。
一体どのような顔をしていたのか、そしてどのような体勢と筆使いであれほどの緻密な絵を描いていたのか、
興味は尽きません。
障壁画の間を抜けて寺の至宝である茶器や不動明王像(重要文化財)の脇を通り、展示室を奥へと進むと、今回の展示の目玉ともいえる初公開作、《鸚鵡牡丹図》が現れました。
このとき、幸いなことに作品の前には誰も立っていませんでした。
さっそく懐から単眼鏡(モノキュラー)を取り出して若冲特有の高精細な描写を楽しみます。
白いレース編みのような繊細な線が無数に走る羽の描き方はまさに若冲ならではです。
単眼鏡を絵の各部に向けながらその神がかった描写力に酔いしれます。
この作品とこうして向き合えただけでも京都まで来た甲斐がありました。
ミクロの視点だけではなく、マクロの視点から作品全体を眺めても、くすんだ背景に鸚鵡の白と牡丹の葉の緑、花弁の紅が互いに響き合い、画面全体が鮮やかに輝くばかりです。若冲の色彩感覚の確かさが改めて実感されます。
その他の展示作品としては、《群鶏蔬菜図押絵貼屏風》、《菊虫図》、《松亀図》など。
《群鶏蔬菜図押絵貼屏風》に描かれた大根の上に乗って羽を左右に広げて居丈高なポーズをとる鶏の姿とその得意げな表情に我々人間社会の風刺を見たのは私だけでしょうか。
《松亀図》の亀甲を単眼鏡で観てみると、細かい文様が筋目描きによって美しい層を為していることが分かります。
《菊虫図》も花の細部へと単眼鏡を向けると蟷螂の他に茎や葉のあちこちに小さな蟻の姿を確認できます。
さすが若冲。細部の描写まで妥協は見られません。
ひと通り作品を観覧し終えた後はチケット売り場脇のグッズコーナーへ。
封筒入りの絵はがきセット、《鸚鵡牡丹図》を印刷した竹のはがき、そしてこちらも竹でつくられたマグネットを購入しました。
承天閣美術館を後にすると、寺内の墓所にある若冲の墓へお参りしました。
こちらの墓には若冲の遺髪が納められており、その亡骸は晩年に身を寄せた石峰寺の墓に土葬されたということです。
写真を見てもお分かりの通り、若冲の左手に並ぶ足利義政と藤原定家の墓もまた凄いですね(本当の墓かどうかは別として)。
墓所には幕末に命を落とした長州藩士達も埋葬されています。
若冲の墓石の裏側です。
墓石には生前親交のあった大典和尚による若冲の生涯を要約した碑文が刻まれています。
経年による汚れや苔がはり付いていて所々よく読めませんが、この碑文が若冲研究の第一級資料となっています。
相国寺を後にすると、地下鉄烏丸線に乗り、再び京都駅へ戻ってきました。
さらにJR奈良線に乗って二駅先の稲荷駅にて下車。
伏見稲荷神社の巨大な鳥居を横目に見送りつつ駅前通りを右手へ。踏切を渡ります。
スマートフォンの地図を片手に進むと、やがて道路上に下のような標識が見えてきます。
表記通りに進むと、石峰寺の入口の階段が見えてきました。
階段脇には「五百らかん」と刻まれた石碑とお寺についての解説の記された立て札が。
解説にもあるとおり、天明の大火により被災し、家を失った若冲はやがてこの石峰寺に身を寄せ、ここに庵を設けて終の棲家とします。晩年もその創作意欲は衰えることなく、寺内の裏山に自らの下絵をもとにした一千体を超える石の羅漢像や仏像を造って配置し、ブッダの誕生から死までの壮大な物語を表現しました。
天然石に最低限の加工を施して石像としているために風化が進み、今では530体ほどを数えるのみとなっています。仏像とはいえ、風雨に穿たれ、苔生し、自然へと還っていくことこそまさに仏教の説く諸行無常、輪廻転生と考えていたのでしょう。
階段を上がると優美でいてどこか可愛らしいかまくら型の朱塗りの門が見えてきました。
門の脇には立て札があり、五百羅漢像の写真撮影およびスケッチはご遠慮願うとのこと。
がっかりしつつも気を取り直して門をくぐります。
門をくぐって左手の家屋が受付になっており、そこで拝観料の300円を支払い小冊子を受け取ります。
そこから先に進むと細い道が左右に分かれています。「伊藤若冲の墓」の表札にしたがって右手の坂を上がると墓地となっており、その見晴らしの良い坂の中腹に立つ墓石の下に若冲の亡骸が眠っています。
墓の隣りには絵師として生涯を全うした若冲らしく筆塚も建てられています。
お墓のお参りを済ませると左手の道を上がります。
道の先は小山の中を通る一本道となっており、左右の林の中に埋もれるように群れ立つ石の羅漢像達に導かれながらブッダの誕生から死までを辿ります。羅漢像はどれも皆、実に個性的かつ豊かな表情をしており、思わず笑ってしまうほど滑稽で愛くるしい表情の羅漢もいました。拝観者は私の他には誰もいませんでした。誰もいない静かな空間で、木々が風にそよぐ度に揺れる木漏れ日をその額に映す苔生した羅漢像を眺めていると、いつしか心が休まり、森羅万象の生々流転、宇宙の始まりと終わりなど、仏教という一宗教をも超越した壮大な時空と一体となっている自分を想起しました。
若冲が心に抱き、その人生の最後に辿り着いたであろう創作の真の意味がほんの一瞬ですが垣間見えた気がしました。
羅漢像を拝観した後は受付にて石峰寺オリジナルの御朱印帳を購入。御朱印も頂きました。
若冲の命日である9月10日には毎年、慰霊祭が行われ、その際にお寺の所有する若冲の墨絵が公開になるそうです。そのときにまた伺いたいと思います。
石峰寺を後にすると、再び京都駅に戻ってきました。
そのまま京都国立博物館にむかいたいところですが、手荷物が邪魔なのと一服したいこともあり、少し早いですが、駅前のホテルにチェックインしました。
部屋に荷物を置いて、シャワーで汗を流してリフレッシュした後、単眼鏡をポケットに入れ、手ぶらで博物館へとむかいます。
バスに乗るのも億劫なので、博物館まで歩いてみることに。
少し距離はありましたが、夕暮の京の街は風情があって楽しめます。
彼方に紅葉した山が見えるのも東京都心にはない景色ですね。
夕闇の迫る加茂川も美しい。
さて、博物館に到着しました。
来訪した日は土曜日。
京都国立博物館は毎週金・土曜日は夜間延長により午後8時まで開館していますので、
作品をゆっくり鑑賞したい方はおすすめです。
館内の撮影はNG。
入口を入るとインフォメーション・デスクの上に置かれていた「若冲展」のチラシを手に一路、展示室を目指します。
2017年の干支は酉ということで、若冲作の他にも鳥を描いた絵画が展示されていました。
雪舟の描いた《四季花鳥図屏風》も見事な出来栄えでしたが、やはり若冲の描く鶴に比べると美しくはあるのですがどこか形式に流れ、生命の息吹や躍動が弱いと感じます。その原因はやはり若冲特有の線の一本一本にまで自らの生命を吹き込んだかのような執拗なまでの羽や脚の細密描写に比べ、雪舟の描く鶴は細部へのこだわりを持たず全体のバランスを重視して描かれているためだと思われます。
まあ、好みの問題ではあるのですが、若冲の細密描写に目が慣れてしまうと、雪舟ほどの大家といえどどこか見劣りしてしまうのは仕方がないのかもしれません。
2016年の4月に行われた東京都美術館の若冲展が《動植綵絵》をメインに据えた代表作目白押しだったのに対し、今回の京都国立博物館の展示は墨絵をメインにしていました。
一見すると華やかさという点で劣るようにも思えますが、伊藤若冲という絵師の作風の多彩さと奥深さを存分に楽しむことのできる展覧会となっていました。
館内はそれほどの混雑もなく一点一点の絵画をじっくり堪能できます。
東京展があまりの盛況で4時間待ちという大混雑だったために展示替え後の再訪ができず、見逃してしまった《果蔬涅槃図》もこの機会に思う存分観ることができました。
《百犬図》も一頭一頭、その愛くるしい表情を楽しむことができます。
先ほど訪れた石峰寺を若冲が描いた幻想的な墨絵も展示されています。
実際の寺の風景と比べてみると面白いです。
本邦初公開となる《六歌仙図押絵貼屏風》も必見です。
在原業平や小野小町など名だたる歌人達の特徴を見事にとらえ、大胆かつシンプルに墨書きされています。
何とも言えない漫画的な滑稽さがただよい、思わず笑ってしまいました。
《蝦蟇河豚相撲図》にも見られるように、若冲という人物は孤高の天才というよりはとてもひょうきんな一面も持ち合わせていた人物であることが作品を通して伝わってきます。
観覧後はミュージアムショップにて図録を購入。
東京展に比べるとページ数は少ないですが、読み切るにはちょうど良いサイズではないでしょうか。
さて、「若冲ゆかりの地を訪ねて京都へ その①」はここまでです。
後半は次の「その②」へと続きます。
ちなみに今回の旅では新幹線の中で下記の書籍を予習がてら読みました。
文庫サイズながら《動植綵絵》もカラーで収録されているのでお勧めです。
下記の大型本2冊をご紹介。値は張りますが、どちらも印刷は素晴らしい出来栄え。
本物は所有できないので、こちらで若冲の高精細筆致を存分に堪能するのも手かと……。
京都国立博物館で12月13日より始まった特集展示「生誕三百年 若冲展」の観覧をメインに据えつつ、若冲ゆかりの地を訪ねた今回の旅。
東京駅より午前8時ちょうどの東海道新幹線に乗って定刻通りに京都に到着すると、
地下鉄烏丸線に乗って今出川駅にて下車。
まず向かった先は相国寺内にある承天閣美術館です。
入口で靴を脱いで下駄箱に収め、靴下のまま絨毯の上を歩きながら館内を観覧するというのは新鮮な体験でした。
チケット売り場の脇には御香が焚かれており、寺内にある美術館なのだなと実感します。
館内の撮影はNG。
展示室は第一と第二のふたつだけですが、室内は近代的で空調が行き届き、清潔です。
第二展示室へとむかう途中の廊下の窓から見える庭園の緑も美しい。
私が訪れた時は観覧客もまばらでとてもゆったりした気持ちで静かに絵と向き合うことができました。
第一展示室に展示されていた若冲作品は、《牡丹百合図》、《伏見人形図》、《竹虎図》などでした。
若冲お得意の「筋目描き」を駆使した墨絵の魅力を存分に堪能できます。
第二展示室には若冲が鹿苑寺大書院に描いた障壁画が保管・展示されています。
入口を入ると、まず障壁画の大きさと迫力に圧倒されます。
強すぎずやわらかい照明の当て方も行燈の灯を思わせ、絵を引き立てていました。
保存のために仕方ないとはいえ、大きなガラスケースの奥に絵が設置されているために
ガラスが反射して所々少し見辛いのが残念。
《葡萄小禽図床貼付》は葡萄の枝葉や蔓の描き方が実に洒脱で、一見大胆な勢いに任せながらも若冲特有の繊細な筆使いが光ります。
左側の飾り棚による壁面の窮屈さを逆に葡萄棚に見立てたことで作品全体に奥行きが生まれています。
よく観ると、葡萄の実の一粒一粒が微妙な濃淡を使って丁寧に描き分けられており、墨絵でありながら
瑞々しい葡萄の艶と色合いを想起させます。
芭蕉に月が描かれた障壁画《月夜芭蕉図床貼付》の方は、日本の月夜というよりはどこか南国を思わせるような異国情緒を感じさせる不思議な作品となっています。
若冲の肖像画も展示されていましたが、こちらは明治期に想像によって描かれたもの。
真の若冲の姿は謎のままということですね。
一体どのような顔をしていたのか、そしてどのような体勢と筆使いであれほどの緻密な絵を描いていたのか、
興味は尽きません。
障壁画の間を抜けて寺の至宝である茶器や不動明王像(重要文化財)の脇を通り、展示室を奥へと進むと、今回の展示の目玉ともいえる初公開作、《鸚鵡牡丹図》が現れました。
このとき、幸いなことに作品の前には誰も立っていませんでした。
さっそく懐から単眼鏡(モノキュラー)を取り出して若冲特有の高精細な描写を楽しみます。
白いレース編みのような繊細な線が無数に走る羽の描き方はまさに若冲ならではです。
単眼鏡を絵の各部に向けながらその神がかった描写力に酔いしれます。
この作品とこうして向き合えただけでも京都まで来た甲斐がありました。
ミクロの視点だけではなく、マクロの視点から作品全体を眺めても、くすんだ背景に鸚鵡の白と牡丹の葉の緑、花弁の紅が互いに響き合い、画面全体が鮮やかに輝くばかりです。若冲の色彩感覚の確かさが改めて実感されます。
その他の展示作品としては、《群鶏蔬菜図押絵貼屏風》、《菊虫図》、《松亀図》など。
《群鶏蔬菜図押絵貼屏風》に描かれた大根の上に乗って羽を左右に広げて居丈高なポーズをとる鶏の姿とその得意げな表情に我々人間社会の風刺を見たのは私だけでしょうか。
《松亀図》の亀甲を単眼鏡で観てみると、細かい文様が筋目描きによって美しい層を為していることが分かります。
《菊虫図》も花の細部へと単眼鏡を向けると蟷螂の他に茎や葉のあちこちに小さな蟻の姿を確認できます。
さすが若冲。細部の描写まで妥協は見られません。
ひと通り作品を観覧し終えた後はチケット売り場脇のグッズコーナーへ。
封筒入りの絵はがきセット、《鸚鵡牡丹図》を印刷した竹のはがき、そしてこちらも竹でつくられたマグネットを購入しました。
承天閣美術館を後にすると、寺内の墓所にある若冲の墓へお参りしました。
こちらの墓には若冲の遺髪が納められており、その亡骸は晩年に身を寄せた石峰寺の墓に土葬されたということです。
写真を見てもお分かりの通り、若冲の左手に並ぶ足利義政と藤原定家の墓もまた凄いですね(本当の墓かどうかは別として)。
墓所には幕末に命を落とした長州藩士達も埋葬されています。
若冲の墓石の裏側です。
墓石には生前親交のあった大典和尚による若冲の生涯を要約した碑文が刻まれています。
経年による汚れや苔がはり付いていて所々よく読めませんが、この碑文が若冲研究の第一級資料となっています。
相国寺を後にすると、地下鉄烏丸線に乗り、再び京都駅へ戻ってきました。
さらにJR奈良線に乗って二駅先の稲荷駅にて下車。
伏見稲荷神社の巨大な鳥居を横目に見送りつつ駅前通りを右手へ。踏切を渡ります。
スマートフォンの地図を片手に進むと、やがて道路上に下のような標識が見えてきます。
表記通りに進むと、石峰寺の入口の階段が見えてきました。
階段脇には「五百らかん」と刻まれた石碑とお寺についての解説の記された立て札が。
解説にもあるとおり、天明の大火により被災し、家を失った若冲はやがてこの石峰寺に身を寄せ、ここに庵を設けて終の棲家とします。晩年もその創作意欲は衰えることなく、寺内の裏山に自らの下絵をもとにした一千体を超える石の羅漢像や仏像を造って配置し、ブッダの誕生から死までの壮大な物語を表現しました。
天然石に最低限の加工を施して石像としているために風化が進み、今では530体ほどを数えるのみとなっています。仏像とはいえ、風雨に穿たれ、苔生し、自然へと還っていくことこそまさに仏教の説く諸行無常、輪廻転生と考えていたのでしょう。
階段を上がると優美でいてどこか可愛らしいかまくら型の朱塗りの門が見えてきました。
門の脇には立て札があり、五百羅漢像の写真撮影およびスケッチはご遠慮願うとのこと。
がっかりしつつも気を取り直して門をくぐります。
門をくぐって左手の家屋が受付になっており、そこで拝観料の300円を支払い小冊子を受け取ります。
そこから先に進むと細い道が左右に分かれています。「伊藤若冲の墓」の表札にしたがって右手の坂を上がると墓地となっており、その見晴らしの良い坂の中腹に立つ墓石の下に若冲の亡骸が眠っています。
墓の隣りには絵師として生涯を全うした若冲らしく筆塚も建てられています。
お墓のお参りを済ませると左手の道を上がります。
道の先は小山の中を通る一本道となっており、左右の林の中に埋もれるように群れ立つ石の羅漢像達に導かれながらブッダの誕生から死までを辿ります。羅漢像はどれも皆、実に個性的かつ豊かな表情をしており、思わず笑ってしまうほど滑稽で愛くるしい表情の羅漢もいました。拝観者は私の他には誰もいませんでした。誰もいない静かな空間で、木々が風にそよぐ度に揺れる木漏れ日をその額に映す苔生した羅漢像を眺めていると、いつしか心が休まり、森羅万象の生々流転、宇宙の始まりと終わりなど、仏教という一宗教をも超越した壮大な時空と一体となっている自分を想起しました。
若冲が心に抱き、その人生の最後に辿り着いたであろう創作の真の意味がほんの一瞬ですが垣間見えた気がしました。
羅漢像を拝観した後は受付にて石峰寺オリジナルの御朱印帳を購入。御朱印も頂きました。
若冲の命日である9月10日には毎年、慰霊祭が行われ、その際にお寺の所有する若冲の墨絵が公開になるそうです。そのときにまた伺いたいと思います。
石峰寺を後にすると、再び京都駅に戻ってきました。
そのまま京都国立博物館にむかいたいところですが、手荷物が邪魔なのと一服したいこともあり、少し早いですが、駅前のホテルにチェックインしました。
部屋に荷物を置いて、シャワーで汗を流してリフレッシュした後、単眼鏡をポケットに入れ、手ぶらで博物館へとむかいます。
バスに乗るのも億劫なので、博物館まで歩いてみることに。
少し距離はありましたが、夕暮の京の街は風情があって楽しめます。
彼方に紅葉した山が見えるのも東京都心にはない景色ですね。
夕闇の迫る加茂川も美しい。
さて、博物館に到着しました。
来訪した日は土曜日。
京都国立博物館は毎週金・土曜日は夜間延長により午後8時まで開館していますので、
作品をゆっくり鑑賞したい方はおすすめです。
館内の撮影はNG。
入口を入るとインフォメーション・デスクの上に置かれていた「若冲展」のチラシを手に一路、展示室を目指します。
2017年の干支は酉ということで、若冲作の他にも鳥を描いた絵画が展示されていました。
雪舟の描いた《四季花鳥図屏風》も見事な出来栄えでしたが、やはり若冲の描く鶴に比べると美しくはあるのですがどこか形式に流れ、生命の息吹や躍動が弱いと感じます。その原因はやはり若冲特有の線の一本一本にまで自らの生命を吹き込んだかのような執拗なまでの羽や脚の細密描写に比べ、雪舟の描く鶴は細部へのこだわりを持たず全体のバランスを重視して描かれているためだと思われます。
まあ、好みの問題ではあるのですが、若冲の細密描写に目が慣れてしまうと、雪舟ほどの大家といえどどこか見劣りしてしまうのは仕方がないのかもしれません。
2016年の4月に行われた東京都美術館の若冲展が《動植綵絵》をメインに据えた代表作目白押しだったのに対し、今回の京都国立博物館の展示は墨絵をメインにしていました。
一見すると華やかさという点で劣るようにも思えますが、伊藤若冲という絵師の作風の多彩さと奥深さを存分に楽しむことのできる展覧会となっていました。
館内はそれほどの混雑もなく一点一点の絵画をじっくり堪能できます。
東京展があまりの盛況で4時間待ちという大混雑だったために展示替え後の再訪ができず、見逃してしまった《果蔬涅槃図》もこの機会に思う存分観ることができました。
《百犬図》も一頭一頭、その愛くるしい表情を楽しむことができます。
先ほど訪れた石峰寺を若冲が描いた幻想的な墨絵も展示されています。
実際の寺の風景と比べてみると面白いです。
本邦初公開となる《六歌仙図押絵貼屏風》も必見です。
在原業平や小野小町など名だたる歌人達の特徴を見事にとらえ、大胆かつシンプルに墨書きされています。
何とも言えない漫画的な滑稽さがただよい、思わず笑ってしまいました。
《蝦蟇河豚相撲図》にも見られるように、若冲という人物は孤高の天才というよりはとてもひょうきんな一面も持ち合わせていた人物であることが作品を通して伝わってきます。
観覧後はミュージアムショップにて図録を購入。
東京展に比べるとページ数は少ないですが、読み切るにはちょうど良いサイズではないでしょうか。
さて、「若冲ゆかりの地を訪ねて京都へ その①」はここまでです。
後半は次の「その②」へと続きます。
ちなみに今回の旅では新幹線の中で下記の書籍を予習がてら読みました。
文庫サイズながら《動植綵絵》もカラーで収録されているのでお勧めです。
下記の大型本2冊をご紹介。値は張りますが、どちらも印刷は素晴らしい出来栄え。
本物は所有できないので、こちらで若冲の高精細筆致を存分に堪能するのも手かと……。