行ってまいりました。
曼荼羅図から竹取物語絵巻、ガリレオの月面観察デッサンから最新の宇宙観まで、我々人間が宇宙というものをどう捉え、どう表現してきたかを芸術という視点から時空を超えて俯瞰することのできる今回の展覧会。質、量ともにとても見応えのある展示でした。
会場内の撮影はカメラのマークが付いた作品についてはOKでした。
撮影OKの隣がNGだったりもして場所によっては多少判断に迷う感じもしました。いっそのこと全て撮影OKにしてくれたら係員の視線を気にしながらカメラを構える変なストレスから解放されたとおもうのですが、まあ、全て撮影NGが通常の日本の美術展からすれば寛大な措置と言えるでしょうか。
さて、前置きはこの辺に致しまして、以下に撮影可能だった作品を紹介しながら会場内の様子について触れていきたいと思います。
入口付近には、曼荼羅図や創造神図など過去において我々が宇宙というものをどう捉えてきたかを象徴する展示が集められています。先人達の宇宙感を理解するということはつまるところ古今東西の神話や宗教の物語をも把握しなくてはならないわけですが、科学的視点で宇宙というものを捉えることに慣れきった我々現代人からすればその捉え方は実に新鮮で、想像力に富み、思わず「なるほど」と頷いてしまう作品が多々ありました。会場を奥へと進むと、ガリレオやレオナルド・ダ・ヴィンチの素描も展示されており、彼等の宇宙観を垣間見ることもできます。
まずは隕石によってつくられた日本刀から。その名も「流星刀」。
続いてローラン・グラッソによる《過去についてのスタディ》。
未来の神殿のようなどこか神秘的かつ荘厳なスーパー・カミオカンデのパネル写真(撮影不可)に目を奪われつつ館内の奥へ進むと、最新の宇宙理論からインスピレーションを得たアート作品が登場します。
森万里子作 《エキピロティック ストリング II》。
以下はビョーン・ダーレムの作品。
さらに奥へと進むと、何やらモーターの駆動音と光と影が回転する広い空間が見えてきます。
コンラッド・ショウクロス作 《タイムピース》。
太古の日時計とロボットアームを融合したような不思議な作品でした。
アイザック・ニュートンの『プリンキピア』。
現代アートを展示する空間の所々にこのような先人達による古典的名著が展示されることで、最新の宇宙論が過去の科学的発見の上に構築されているという知の歴史の重みを実感できます。
ジア・アイリ 《星屑からの隠遁者》。
こちらは国立極地研究所の隕石。その隣には地球上から採取された化石が展示されています。マクロとミクロの宇宙を小さな物体を通して体感する瞬間です。
杉本博司 《石炭紀》。モノクロのパネル写真が我々を太古へと誘います。
その奥へ進むと突如薄暗い不思議な空間へ。
ここにも古典的名著が。
ダーウィンの『種の起源』を展示することで、宇宙空間における未来の生物進化がどう進むのかという疑問を鑑賞者に問いかけています。
日本の土偶もエイリアンに見えなくもないですよね。
ヴァンサン・フルニエ 《ロボット・クラゲ・ドローン》。美しいです。
パトリシア・ピッチニーニ 《ザ・ルーキー》。
その「キモ可愛さ」をとくとご堪能あれ。円らな瞳の周りを縁取る睫毛や腕や脚には細かな体毛まで生えていたりと細部まで実にリアルです。その表情にどこか哀切が滲んでいるのは遺伝子操作と進化の成れの果てに辿り着いた生きる悲しみでしょうか。
円筒形の展示ケースには荒俣宏氏の希少なSF雑誌コレクションが展示されています。
以下は「うつろ舟」についての複製画です。
1803年に常陸(現在の茨城県)の海岸にUFOに乗った宇宙人が飛来した証拠なのでしょうか?
「うつろ舟」の形が私達のよく知る円盤型のUFOを連想させたり、宇宙人と思しき女性のコスチュームも近未来的で、見れば見るほど謎は深まるばかりです。この女性が宇宙人ではなく我々の遠い子孫の未来人だったとすると、この「うつろ舟」はUFOというよりかはタイムマシンということになりますが……果たして……。
空山基 《セクシーロボット》。
ルーヴル美術館で《ミロのヴィーナス》を初めて観たときも感じたことなのですが、なぜ人は石や金属といったモノ言わぬ物質の形状が人間の肉体を表しているとそこに一種の感情(この場合はエロティシズム)を感じるものなのでしょうか。
女性の理想的なプロポーションを細部まで再現した金属のロボットは人間以上に妖しくセクシーでした。
以下の写真は一見、地球外の惑星をCGで再現したSF映画の一場面のように錯覚しますが、地球上で撮影されたものです。
こちらは、アポロ11号任務記録。あの月面に降り立った際のニール・アームストロング船長の有名な言葉もしっかり記録されています。
トム・サックス 《ザ・クローラー》。今回の展覧会のポスターや図録の表紙にも採用されていますね。
以下はチームラボによる映像インスタレーションです。入口には解説と注意書きが。
暗幕に仕切られた通路の奥へと進むと、入り口前に立つ係員から「部屋の中央で鑑賞されることをお勧めします」と笑顔で言われ、中に一歩足を踏み入れると床が動いているような錯覚に襲われ、思わずよろけてしまいました。
光のカラスが流星となって宇宙空間を猛スピードで飛翔しています。何とか部屋の中央にたどり着き、腰を下ろし、じっとその空間に佇んでいると、部屋の底が抜け、自分が広大な宇宙空間に投げ出されてしまったような感覚にとらわれます。最初こそ少し目が回りましたが、一度慣れてしまうと、その浮遊感がクセになります。カラス達とともに自らも光の粒子となってどこまでも宇宙を駆け回り、漂っていたい。そんな感動を味わえます。必見です。
チームラボの映像インスタレーションを何度か体験した後、展示室から外に出ると、展覧会もそろそろ終わりに近づいてきました。
以下はネリ・オックスマンによる「宇宙服」。
どのように着用するのかが傍のモニターに映し出されていました。
月面探査機、HAKUTOの模型。
火星での住居、マーズ・アイス・ハウス。
人類はいつか火星に住む日が来るのでしょうか……。
展示を観終えた後はグッズ売り場へ。
図録はもちろんのこと、宇宙食を模した菓子類、Tシャツ、文房具、アクリル・キーホルダー、クリアファイルなどの定番のものから、うつろ舟を模したどんぶりやタンブラーのようなセンスの光るアイデアグッズもありました。セクシー・ロボット関連のグッズはTシャツ、ノート、グラス、トートバッグと多く、ファンの方はすべて揃えたくなるかもしれません。
ご興味を抱かれた方は是非。
「宇宙と芸術展」公式サイト
http://www.mori.art.museum/contents/universe_art/
曼荼羅図から竹取物語絵巻、ガリレオの月面観察デッサンから最新の宇宙観まで、我々人間が宇宙というものをどう捉え、どう表現してきたかを芸術という視点から時空を超えて俯瞰することのできる今回の展覧会。質、量ともにとても見応えのある展示でした。
会場内の撮影はカメラのマークが付いた作品についてはOKでした。
撮影OKの隣がNGだったりもして場所によっては多少判断に迷う感じもしました。いっそのこと全て撮影OKにしてくれたら係員の視線を気にしながらカメラを構える変なストレスから解放されたとおもうのですが、まあ、全て撮影NGが通常の日本の美術展からすれば寛大な措置と言えるでしょうか。
さて、前置きはこの辺に致しまして、以下に撮影可能だった作品を紹介しながら会場内の様子について触れていきたいと思います。
入口付近には、曼荼羅図や創造神図など過去において我々が宇宙というものをどう捉えてきたかを象徴する展示が集められています。先人達の宇宙感を理解するということはつまるところ古今東西の神話や宗教の物語をも把握しなくてはならないわけですが、科学的視点で宇宙というものを捉えることに慣れきった我々現代人からすればその捉え方は実に新鮮で、想像力に富み、思わず「なるほど」と頷いてしまう作品が多々ありました。会場を奥へと進むと、ガリレオやレオナルド・ダ・ヴィンチの素描も展示されており、彼等の宇宙観を垣間見ることもできます。
まずは隕石によってつくられた日本刀から。その名も「流星刀」。
続いてローラン・グラッソによる《過去についてのスタディ》。
未来の神殿のようなどこか神秘的かつ荘厳なスーパー・カミオカンデのパネル写真(撮影不可)に目を奪われつつ館内の奥へ進むと、最新の宇宙理論からインスピレーションを得たアート作品が登場します。
森万里子作 《エキピロティック ストリング II》。
以下はビョーン・ダーレムの作品。
さらに奥へと進むと、何やらモーターの駆動音と光と影が回転する広い空間が見えてきます。
コンラッド・ショウクロス作 《タイムピース》。
太古の日時計とロボットアームを融合したような不思議な作品でした。
アイザック・ニュートンの『プリンキピア』。
現代アートを展示する空間の所々にこのような先人達による古典的名著が展示されることで、最新の宇宙論が過去の科学的発見の上に構築されているという知の歴史の重みを実感できます。
ジア・アイリ 《星屑からの隠遁者》。
こちらは国立極地研究所の隕石。その隣には地球上から採取された化石が展示されています。マクロとミクロの宇宙を小さな物体を通して体感する瞬間です。
杉本博司 《石炭紀》。モノクロのパネル写真が我々を太古へと誘います。
その奥へ進むと突如薄暗い不思議な空間へ。
ここにも古典的名著が。
ダーウィンの『種の起源』を展示することで、宇宙空間における未来の生物進化がどう進むのかという疑問を鑑賞者に問いかけています。
日本の土偶もエイリアンに見えなくもないですよね。
ヴァンサン・フルニエ 《ロボット・クラゲ・ドローン》。美しいです。
パトリシア・ピッチニーニ 《ザ・ルーキー》。
その「キモ可愛さ」をとくとご堪能あれ。円らな瞳の周りを縁取る睫毛や腕や脚には細かな体毛まで生えていたりと細部まで実にリアルです。その表情にどこか哀切が滲んでいるのは遺伝子操作と進化の成れの果てに辿り着いた生きる悲しみでしょうか。
円筒形の展示ケースには荒俣宏氏の希少なSF雑誌コレクションが展示されています。
以下は「うつろ舟」についての複製画です。
1803年に常陸(現在の茨城県)の海岸にUFOに乗った宇宙人が飛来した証拠なのでしょうか?
「うつろ舟」の形が私達のよく知る円盤型のUFOを連想させたり、宇宙人と思しき女性のコスチュームも近未来的で、見れば見るほど謎は深まるばかりです。この女性が宇宙人ではなく我々の遠い子孫の未来人だったとすると、この「うつろ舟」はUFOというよりかはタイムマシンということになりますが……果たして……。
空山基 《セクシーロボット》。
ルーヴル美術館で《ミロのヴィーナス》を初めて観たときも感じたことなのですが、なぜ人は石や金属といったモノ言わぬ物質の形状が人間の肉体を表しているとそこに一種の感情(この場合はエロティシズム)を感じるものなのでしょうか。
女性の理想的なプロポーションを細部まで再現した金属のロボットは人間以上に妖しくセクシーでした。
以下の写真は一見、地球外の惑星をCGで再現したSF映画の一場面のように錯覚しますが、地球上で撮影されたものです。
こちらは、アポロ11号任務記録。あの月面に降り立った際のニール・アームストロング船長の有名な言葉もしっかり記録されています。
トム・サックス 《ザ・クローラー》。今回の展覧会のポスターや図録の表紙にも採用されていますね。
以下はチームラボによる映像インスタレーションです。入口には解説と注意書きが。
暗幕に仕切られた通路の奥へと進むと、入り口前に立つ係員から「部屋の中央で鑑賞されることをお勧めします」と笑顔で言われ、中に一歩足を踏み入れると床が動いているような錯覚に襲われ、思わずよろけてしまいました。
光のカラスが流星となって宇宙空間を猛スピードで飛翔しています。何とか部屋の中央にたどり着き、腰を下ろし、じっとその空間に佇んでいると、部屋の底が抜け、自分が広大な宇宙空間に投げ出されてしまったような感覚にとらわれます。最初こそ少し目が回りましたが、一度慣れてしまうと、その浮遊感がクセになります。カラス達とともに自らも光の粒子となってどこまでも宇宙を駆け回り、漂っていたい。そんな感動を味わえます。必見です。
チームラボの映像インスタレーションを何度か体験した後、展示室から外に出ると、展覧会もそろそろ終わりに近づいてきました。
以下はネリ・オックスマンによる「宇宙服」。
どのように着用するのかが傍のモニターに映し出されていました。
月面探査機、HAKUTOの模型。
火星での住居、マーズ・アイス・ハウス。
人類はいつか火星に住む日が来るのでしょうか……。
展示を観終えた後はグッズ売り場へ。
図録はもちろんのこと、宇宙食を模した菓子類、Tシャツ、文房具、アクリル・キーホルダー、クリアファイルなどの定番のものから、うつろ舟を模したどんぶりやタンブラーのようなセンスの光るアイデアグッズもありました。セクシー・ロボット関連のグッズはTシャツ、ノート、グラス、トートバッグと多く、ファンの方はすべて揃えたくなるかもしれません。
ご興味を抱かれた方は是非。
「宇宙と芸術展」公式サイト
http://www.mori.art.museum/contents/universe_art/