nakaji art

我が心と身体が捉えた美について

2016年03月

行ってまいりました。
はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術コレクション チラシ
大原美術館の所蔵する珠玉のコレクションを堪能できる今回の展覧会。
なかなか行く時間がとれず、開期終了間近(4月4日終了)の観覧となりました。

会場に入ると、さっそくエル・グレコの《受胎告知》に目を奪われます。
東京での公開はおよそ30年ぶりだそうです。
その後は《女神イシスまたはネフティス像》に代表される古代エジプト美術の展示へ。
コレクションの質と幅の広さを窺わせ、期待が高まります。

陶磁器もさることながら、
やはり19世紀から20世紀初頭のフランスを中心とした近代絵画のコレクションが充実しています。

西洋絵画では、
セガンティーニ、モネ、セザンヌ、ドガ、マネ、ゴーギャン、モロー、モディリアニ、
ピカソ、ポロック、ロスコ、クーニングなど、
大型の作品ではないものの、完成度が高くセンスのよいものが収集されています。

日本の近代作家による作品は
青木繁、岸田劉生、萬鉄五郎、藤田嗣治、佐伯祐造、関根正二など。

民芸運動縁の作家では、
バーナード・リーチの陶芸作品、棟方志功の版画が印象的でした。

現代作家では、幻想的な風景の中に生命の流転を描いた
谷保玲奈氏の大作《繰り返される呼吸》に心を奪われました。

古代美術から現代作家まで実に質・量ともにバランスのとれたコレクションでした。
しばし時を忘れて美を堪能いたしました。
歴史ある大原美術館のコレクションの趣味の良さが光ります。


こちらはお土産のポストカード。グッズ売り場にて購入。
はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術コレクション グッズ

ご興味を抱かれた方は是非。

はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術館コレクション
http://www.hajimari2016.jp

行ってまいりました。
MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事 チラシ

衣服を着るとは「一枚の布をまとう」ことであるというコンセプトのもとに
三宅氏は今日に至るまで自らのデザインを追求してきました。

それは「服」という我々にとっての日用品、工業製品でありながら、
氏の高い志を具現化したアートでもあります。

今回の展覧会では「三宅一生の仕事」と題して、
氏のデザイナーとしての今日に至るまでの歩みを辿ることのできる
三部構成となっています。

展覧会の開催に合わせて、
スマートフォン用のアプリ(無料)とオーディオガイド(500円)が
配信されています。

オーディオガイドは会場の外でも解説を楽しむことができるので、
改めて展示作品をを振り返る際に便利です。

下記はアプリ(Android用)のトップページです。
MIYAKE ISSEY展 アプリ トップページ

アプリを起動して展覧会のチラシに向けると、三宅氏の服を纏ったヴァーチャル・モデルが現れ、
様々なポーズをとります。
下記のように写真撮影も可能です。
MIYAKE ISSEY展 アプリ チラシ 3D ヴァーチャル モデル

展覧会のサイトに表示されたチラシ見本でも読み取れました。
MIYAKE ISSEY展 アプリ チラシ 3D ヴァーチャル
会場に入ると、三宅氏の作り出す色彩と形の独創性と美しさに圧倒されました。

「一枚の布」というコンセプトを頑ななまでに真摯に追求すると、
見慣れているはずの衣服も芸術となるのだなと深く感動しました。

馬の尾の毛を用いて作られた服はまるで風を含んだ羽衣のように
緩やかな襞をつくりつつマネキンの身体を軽やかに包んでいます。
服の向こうに尾をなびかせて草原を疾走する馬の姿が浮かんできました。

他にも会場内には
最新のテクノロジーを用いて作られた一本の糸から直接作られる服や
プリーツを織る機械が設置され、実演もされています。

中でも「132 5. ISSEY MIYAKE」と題された服には驚きました。
折りたたむと星形や五角形などの一枚の布になるのですが、
人間の身体が纏うと立体的な衣服が立ち現れてきます。
まさに三宅氏が追求してきた「一枚の布を纏う」というコンセプトとテクノロジーが
融合したアートと言えます。
ちなみにタイトルの「132 5」という数字は、
「1」が一枚の布、「3」が衣服としての三次元立体構造、「2」は畳まれた平面、
「5」は身に纏うことにより時間と次元を超えた存在になることを意味しているそうです。
こちらの「132 5」シリーズの展示の傍には、
VTRの手順を参考にしながらミニチュアの服を小さなマネキンに着せることができるコーナーが設けられています。折り畳まれた一枚の布が立体的な美しい服に変化する不思議を実体験してみると新たな感動が生まれるかもしれません。

会場の出口付近には三宅氏の服を使った映像作品も上映されています。
壁一面の巨大スクリーンに投影されているのですが
思わず時を忘れて見入ってしまうほどにシュールで美しい作品です。

展覧会場の外のショップでは、
図録やTシャツ、バッグ、缶バッチ、ハガキなどのグッズが売られています。
図録とハンカチを購入しました。
MIYAKE ISSEY展 図録 カタログ

MIYAKE ISSEY展 グッズ ハンカチ

ご興味を抱かれた方は是非。

三宅一生展公式サイト
http://2016.miyakeissey.org

diogenes10
巨大カメレオンが目にもとまらない速さで舌をのばして、
バッタとディオゲネス先生を捕らえた!


ディオゲネス先生より今日のコトバ

"どんなに偉そうにしていたって
ボクたちはどうして生きているのか
その意味すら知らない

宇宙が始まる前の「何も無い」ということが
どういう状態だったのか
想像すらできない 
 
だから
ヒトも含めて 
本当に頭のいい生き物なんて
この世界には一匹もいないんだよね……。"


行ってまいりました。
京都国際マンガミュージアム 建物 外観
元龍池小学校の校舎を改装して2006年11月に開館したこちらのミュージアム。
通りからはネット越しにかつては校庭だった芝生の庭が見え、
その上では大人から子供まで様々な年齢層の人々が寛いでいます。
よく見ると、庭に面した建物の階段にも人々が座り、
誰もが何かを熱心に読み耽っています。
京都国際マンガミュージアム 正面入口 プレート 表札
早速、入口から館内へ。
ミュージアムの隣にはカフェが併設されていて、
企画展に合わせた特別メニューの看板もありました。

自動ドアを開けてミュージアム内に入ると、
すぐ正面に2台の券売機が設置されています。
一度チケットを購入すれば、当日中は閉館の30分前までなら
何度でも再入館できるとのこと。

館内に入ってまず驚くのは、
「マンガの壁」と称された室内の壁に設置された総延長約200メートルに及ぶ本棚。
本棚にはおよそ5万冊の漫画本がぎっしりと並べられており、
その周りには老若男女が立ち、手にした漫画を黙々と読んでいます。
そこで先ほど外で目にした人々も漫画を読んでいたことに気づきました。
漫画は館外へ持ち出すことこそできないものの、
敷地内ならば、外の芝生に寝転がって読もうが
館内の階段に座って読もうが自由です。
閉館時刻までどんな作品も好きなだけ読むことができます。

日曜日に訪れたこともあり、
館内はかなり混雑していました。

館内の部屋は所々で学校の教室をそのまま活かしているため、
まるで自分が学生時代にタイムスリップして、
放課後に仲間達と集まって互いに好きな漫画を持ち寄って
読んでいるような錯覚に陥ります。

2階の吹き抜けには、手塚治虫氏の代表作「火の鳥」の巨大オブジェが
設置されています。

ミュージアムという名のとおり、
館内の展示室や通路では様々な展示が行われていました。
以下は「暮らしの中のマンガキャラクター展」と題して
廊下の所々に設置された展示物の一部です。
京都国際マンガミュージアム 展示 くらしの中のマンガ 茶碗
レトロな雰囲気を残す室内と展示物により、
思わず何とも言えない懐かしさがこみ上げ、
しばし童心に帰りました。
京都国際マンガミュージアム 展示 くらしの中のマンガ 弁当箱

階段や廊下を歩く際に木の床がギシギシと音を立てるのも
昔の教室を思い出させてくれます。
京都国際マンガミュージアム 館内

2階には漫画家の手を型取りして作ったレプリカの数々も。
自分の手と比べてみるのも面白いかもしれません。
京都国際マンガミュージアム 展示 漫画家の腕 レプリカ
企画展示用のギャラリーでは、
「どぼく+マンガ」展と題して、マンガ・アニメの世界を「土木」の視点から読み直すと同時に土木そのものの魅力も知ってもらうことを意図した企画展が開催されていたり、
芸術の域にまで高められた模型の世界を堪能できる「京都 模型の匠展」が開催されていました。

こちらはミュージアムショップで売られていた『ゲゲゲの鬼太郎』の陶製の箸置き。
京都国際マンガミュージアム グッズ 鬼太郎 はしおき 箸置き
目玉の親父やねずみ男のものもありましたが、
鬼太郎はひとつしか残っておらず、思わず購入致しました。


ご興味を抱かれた方は是非。

京都国際マンガミュージアム
http://www.kyotomm.jp/

「MIYAKE ISSEY展:三宅一生の仕事」が2016年3月16日(水)から6月13日(月)まで
国立新美術館にて開催されております。

そこで、より展覧会を楽しんでいただくために、以下に「20 世紀のファッションと芸術文化」と題しまして、
20世紀のファッションの展開が近代以降の芸術文化の展開においてどのような意義を持つのかを
以下に大きく4つの年代に分けて概観することに致します。


1900~20年代のファッション
20世紀初頭の女性のファッションは矯正下着、主にコルセットによって身体を締め付け、胸と腰を前後に突き出させ、ウエストを極端に絞るという着る服の形に合わせて肉体を矯正することが主流であった。医学的な面からしても健康を害するこれらの拷問器具として悪名高いコルセットは、飛躍的に発展した鋼鉄技術と「ファムオブジェ」たる19世紀の女性達の理想像が合間ってエスカレートしていく。その流れに抗ったのが、新進デザイナーのポール・ポワレであった。ポワレが1906年に発表した、コルセットを用いず、身体を無理に締め付けることのない革新的とも言えるドレスは新たなファッションの流れを生み出した。
1911年にウィーンを訪れたポワレは、ウィーン工房のモードへの斬新な試みに衝撃を受けた。この工房はグスタフ・クリムトを会長とするウィーン分離派の建築家ヨーゼフ・ホフマンによって1903年に設立されたもので、室内装飾、家具、食器、服飾などを総合的にデザイン・製作していた。その特徴をよく表すものは、幾何学的でグラフィカルなテキスタイル・デザインであった。
ロシア・アバンギャルドの影響を受けたココ・シャネルのアール・デコ風の幾何学パターンを施したシンプルなデザインのドレスがパリ・モードに持ち込まれ、一方で「贅沢な貧困」と揶揄されながらも普及していった。

1930~40年代のファッション
1940年から1944年までナチス・ドイツの占領下にあったパリでは、その統制によりオートクチュールの衰退が余儀なくされた。戦後はクリスチャン・ディオールの「ニュールック」に象徴されるパリ・オートクチュールが復活を見たものの、かつての輝きを取り戻すことはできなかった。
ドイツに1919年に設立された芸術とデザインの総合研究施設であり、企業体でもあったバウハウスは1933年にナチスによって閉鎖されたものの、第二大戦後はアメリカに亡命したラスロ・モホリ=ナギを始めとする芸術家達によって1937年にシカゴで再開された。その教えを受けた芸術家達が戦争の惨禍とは無縁であったアメリカの豊かな経済力を背景に様々な分野で活躍した。一方、イタリアではフィレンツェの服飾産業がアメリカ市場にいち早く対応し、世界的なファッションの拠点となっていく。戦後のモードの主流はパリからニューヨーク、フィレンツェへと移っていくことになった。

1960~80年代のファッション
1960年代のアメリカを象徴する芸術であるポップ・アートにいち早く注目し、それを積極的にファッションに取り入れたのはイヴ・サンローランであった。アートと生活の融合が時代のスローガンであり、発展を続ける消費社会を背景にポップは20世紀のファッション史の新たな扉を開いた。
1980年代の経済発展を遂げた日本からも、川久保玲や山本耀司、三宅一生といった世界的に注目されるファッション・デザイナーが現れた。彼等に共通するのは、これまでモードの主流であった西欧の価値観に揺さぶりをかけ、「着る」とはどういうことかを再考させるようなファッションを次々と打ち出している点である。当初は「ボロ服」などと揶揄された川久保の穴の空いた服も、今では新たなファッションの形として受け入れられている。衣服を纏うという行為の原点に立ち返ったともいえる「一枚の布」にこだわる三宅のデザインもこれまでのファッションに対する固定観念を打ち壊し、新たな地平へと我々を導くであろう。

1990年代以降のファッション
西欧社会でそれまで信じられてきた上流から下層にむけてのファッションの模倣と普及という流れは90年代以降に流行したストリート・ファッションによって真逆であることが明らかとなった。大衆消費社会の進展とともにオートクチュールを始めとする高級服産業は表舞台を降り、多数派のテイストがファッションを支配していくこととなる。その代表ともいえるのがジーンズをベースにしたニューヨークの黒人居住区が発祥のヒップホップやロンドンを発信地とするパンクをテイストとするストリート・ファッションである。前者が人種差別、後者が階級差別に対する反抗から生まれたファッションであったが、パリ・コレ等の旧体制のシステムを巧みに利用して世界的なファッションの主流となったという皮肉な側面も無視できない。
日本の原宿などの繁華街を発信地とする漫画やアニメのテイストを取り入れた「Kawaii(=かわいい)」ファッションも、その独自のテイストが世界的に注目を集めている。また、ユニクロを始めとする大量生産の既製服、ファスト・ファッションが世界市場を席巻してもいる。

まとめ
以上のように、ファッションとは、単に身体を布で覆い隠すという人間の日々の営みを超えて、社会的、文化的、政治的な流れとは切り離すことのできないコミュニケーションの手段であり、アイデンティティの表明である。ファッションとは言わば欲望と憧れの体現であり、そのテイストを強烈に打ち出すリーダーによって牽引されていく。多様化する価値観と目まぐるしく変化し続けるコミュニケーション手段の行き交う現代社会において、服を「着る」という行為そのものを我々一人一人が改めて見つめ直す必要があるだろう。

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