nakaji art

我が心と身体が捉えた美について

2015年12月

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三日月が魔法でフクロウ達を深く深く眠らせて、
その隙に光の腕をのばして先生を救い出す……。

ディオゲネス先生より今日の一言。

"本当に幸せな人なんて、この世には一人もいません。
ただ程度の差はあれ不幸な人と、他人の不幸に無頓着な自称「幸せ者」の鈍い人がいるだけ。"

少し前に読み終わっていたのですが、なかなか言葉が見つからず
レビューを書き出せずにいました。
是非ひとりでも多くの方に読んでいただきたいお勧めの本なのですが、
重いテーマ故にそれをどういう言葉で表現すべきか考えてしまいました。
(今も考え続けています。)

この本の中に記されているのは、
チェルノブイリ原発事故に巻き込まれてしまった人々の言葉です。

普段の日常が予期せぬ未曽有の人災によって突然に変容してしまった人々の声を
著者スベトラーナ・アレクシエービッチ(本年度ノーベル文学賞を受賞)が取材し、
まとめています。

取材に応じた人々の多くは名もなき市井の人々ですから、饒舌とは言えません。
取材に訪れた著者を興味本位と非難する人がいれば、
話したくないことに関してはきっぱりと返答を拒否する姿勢を貫く人もいます。

ところが、その思い思いの心情を吐露した「声」が
著者というフィルターを通してひとつに集められると、
事故が発生した当時の惨状やその後の彼等の人生がどう変わってしまったのかが
読む者の目の前に立ち現れ、深く心をえぐるのです。

本書はまさに題名にもあるとおり、鎮魂への「祈り」です。
しかも、それは副題にあるとおり、未来の物語でもあります。
大地にまき散らされた放射性物質は
この惑星に今生きる我々も含めたすべての生命が死滅した後もなお残留し続け、
環境を汚染し、生まれ来る新たな生命を蝕み続けるものだからです。

読後、特に印象に残っているのは、
被爆した夫を献身的に看護した二人の女性達の言葉です。

致死量を遥かに上回る放射線を浴びた夫達は生きる「原子炉」と化し、
さらに日に日に肉体が崩れ、「怪物(本文ママ)」と化していく……。
彼女達は医師や看護師が制止するのも聞かず、自身の被爆するリスクを顧みず、
病室へと忍び込み、最愛の人の壊れゆく肉体に触れ、添い寝し、キスを交わします。

彼女達が語るのは死についてであると同時に極限の愛についてでもあります。
もしも自分が同じような状況に陥ったなら、
果たして以前と少しも変わることなくその人に触れ、
愛することができるだろうか……。

私に突きつけられた「愛すること」に対する重い問いです。
綺麗事ではいくらでも愛や思いやりを語ることはできます。
しかし、いざこのような事態に遭遇したとき、
私は自らの身を擲って、愛する人を慈しむことができるかというと……
その自信はありません。

さらに恐ろしいことに、
これは単なる想像で終始するフィクションではなく、
これから我々の身に実際に起こりうる現実の問題でもあります。

ご存知のように、
2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う福島原発の事故により、
我々は生と死についての問いを突きつけられました。

そして、その答えは先送りにされたまま、
我々は相変わらず大量の電力を消費し、
震災前と少しも変わらないエネルギー消費型の社会生活を続けています。

我々は近い将来にその報いを受けることになるのではないかという予感が私にはあります。

原子力ではないローリスクかつクリーンな新たなエネルギー源の開発も確かに急務ですが、
我々がまず実践すべきなのは際限のない欲望に歯止めをかけ、
足るを知る、所謂「知足」の精神を養うことではないでしょうか。

本文中にもあったとおり、
放射性物質は我々の目には見えないため、
一見、今までと何ら変わらない深緑の森や澄んだ川が広がっている。
しかし、線量計を取り出すと
針が振り切れるほどの高濃度の放射性物質に汚染されていることがわかるという。

我々は核エネルギーを放棄しない限り、
不可視の猛毒に侵されるリスクに常に怯えながら、
現在、そして未来を生きていかなくてはならないわけです。

本書に興味を抱かれた方は是非。
 

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)
スベトラーナ・アレクシエービッチ
岩波書店
2011-06-17



昨日(12月5日)、ルミネ池袋の8階にあるシネ・リーブルにて観賞してまいりました。

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オーストリアのモナリザとも呼ばれるグスタフ・クリムト作《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》。
その黄金に輝く名画には秘められた真実があったーー。

ストーリーは実にシンプル。
アメリカでブティックを営む一人の老夫人(マリア・アルトマン)が、
自らの祖国であるオーストリア政府を相手取り、
ナチスに略奪された名画の返還を要求するというものです。
実話を元に映画化しています。

場面転換は名画の所有権をめぐる訴訟のシーンと
アルトマン夫人の過去が交互に描かれます。

今年は美術品盗難事件をテーマにしたミステリーを執筆していたことと、
芸大の近現代美術史の課題テーマをナチスの開催した「退廃芸術展」にした関係で、
この映画のテーマは知識としてありました。
正直、それほど期待せずに映画館に行きました……が、やられました。

以下は【ネタバレ】になりますので、
まだ観ていない方はご注意ください。


オープニングの画家が淡い光の下で金箔を絵に貼るシーンから
その美しい画面に引き込まれます。
そして、生身のアデーレの登場。
実物の絵よりも癖のない綺麗な顔立ちです。
オーストリアだけにしっかりドイツ語を話しています。

続いて舞台は現代のアメリカのとある墓地に。
ヘレン・ミレン扮する喪服姿のアルトマン夫人が登場し、物語が動き出します。
亡くなった姉の棺桶に土がかけられ、そこにはユダヤの星が。
祖国を追われたユダヤ人の子孫であることを示すさり気ない演出です。
夫人はかつて実家の壁に飾られていた叔母の姿が描かれた名画を
オーストリア政府から取り返すべく、
葬儀に出席した友人の息子である弁護士を家に招きます。

この駆け出し弁護士ランディ役の俳優、ライアン・レイノルズが
登場時は見るからに頼りなげな優男で良い味を出しています。
実在の人物で、あの音楽家シェーンベルクの子孫です。

ランディは就職したばかりの法律事務所でボスの機嫌を窺いながら、
最初はそれほどの熱意もなくアルトマン夫人の名画奪還の手伝いをしています。

だが、彼はやがて夫人とともにウィーンに赴き、
ナチスによるユダヤ人迫害の過去と向き合うにつれ、
夫人よりも熱心に名画奪還に取り組み始めます。
最初は頼りなげだった青年弁護士が
オーストリア政府および美術館を相手に法廷闘争を挑み、
いつしか頼れる一人の男になっていく演出は実に見事。
思わず感情移入して胸が熱くなります。

そして、要所要所で挿入されるアルトマン夫人の過去の描写。
ゲシュタポから逃れて夫と共に街を疾走するシーンは
「何とか二人とも無事に逃げてくれ!」と思わずにはいられませんでした。

彼女の両親との別れのシーンで思わず涙腺崩壊。
あまり映画を観て泣くことはないのですが、見事にやられましたね。
「おまえの新たな故郷の言葉で語ろう」とドイツ語から英語に切り替え、
自らの死を悟りながら娘を笑って送り出そうとする父親の表情の演技は迫真でした。

そういった暗い過去を乗り越えての訴訟の勝利。
名画が無事、夫人の元に戻り、彼女は自らの負った深い心の傷と向き合う覚悟ができ、
自身がかつて暮らしたアパートの階段を上がっていきます。

そして、夫人の目の前にはかつての華やかだった頃の家族が現れ、
誰もが彼女に笑いかけます。
最後の部屋には《アデーレの肖像》と若く美しい姿のままのアデーレ自身が夫人を迎え、
映画は幕を閉じます。

美しい映像もさることながら、実に上質な見応えのある内容の映画でした。
ご興味を抱かれた方は是非。

「黄金のアデーレ 名画の帰還」公式サイト http://golden.gaga.ne.jp

さらに、
以下の書籍に目を通してから行かれると、この映画をより楽しめると思います。

まずは拙著(小説)から。
作中にナチスに略奪された美術品を回収するエピソードが出てきます。




以下はノンフィクションです。



「盗まれた世界の名画」美術館
サイモン・フープト
創元社
2011-08-22




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ああ、とうとう雛たちのエサに……先生、寝てる場合じゃないですよ。


ディオゲネス先生より今日の一言。

"あなたが手に入れたと得意になっているものは、
実はちょっとの間だけ借りているに過ぎません。
長くてもせいぜい数十年後にはあなたはこの地球上から去らねばならず、
その肉体はおろか全てを手放すことになるのですから。"

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ワニの次は巨大フクロウにさらわれている!
それでも、先生は心地よさげに眠り続けている……。

ディオゲネス先生より今日の一言。

"ボクの天敵は肉食系の獣と、やたら夢や理想を語る意識高い系の人です。"

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