nakaji art

我が心と身体が捉えた美について

運営者の心と身体が日々の暮らしの中で「美しい」と感じたモノやコトを紹介するブログです。
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Tシャツトリニティというサイトにてオリジナル・キャラクターを使ったTシャツとグッズの販売を開始致しました。

初期のラインナップは以下の通りです(Tシャツのカラー・ヴァリエーションは下記リンク先の各商品ページをご確認ください)。


最初にご紹介するのは、
国宝《鳥獣人物戯画》と日本のアニメから生まれたウサギをモティーフにしたオリジナル・キャラクター「ナギ」のTシャツ。
疾走する姿と正面ポーズの2種類をご用意しました。
マスコット03 オリンピック Tシャツ Tokyo2020
マスコット01 オリンピック Tシャツ Tokyo2020


購入は以下のサイトからできます。
疾走ヴァージョン
https://www.ttrinity.jp/product/4007272#1
正面ヴァージョン
https://www.ttrinity.jp/product/4005675#6


続いて、ナギと同様のコンセプトから生まれたカエルのキャラクター「ナミ」のTシャツ。
マスコット02 オリンピック Tシャツ Tokyo2020


購入は以下のサイトからできます。
https://www.ttrinity.jp/product/4007279#210


そして、疾走するふたりをデザインしたスマートフォン用ケース(手帳型)です。

開いた状態
マスコット02 オリンピック スマホケース Tokyo2020
折りたたんだ状態
マスコット01 オリンピック スマホケース Tokyo2020
購入は以下のサイトからできます。
https://www.ttrinity.jp/product/4005663#378


※上記イメージ写真はすべてTシャツトリニティのサイトから転載させて頂いております。


今後は上記のキャラクターに限らず、色々なデザインを順次増やしていく予定でおりますので、
ご興味を抱かれた方は購入いただけたら嬉しいです。

ということで、私の応募作を以下に公開したいと思います。


まずは各マスコットの特徴を紹介した1分24秒ほどの動画(アニメーション)をご覧ください。



ご覧頂いた方はお気づきと思いますが、
動画に登場するマスコット達には既に名前がついています。
正式採用作品の名前はデザイン決定後にプロによる応募によって決定するらしいですが、
審査途中で作品を公開することで応募規定違反による失格となり、
晴れて自由の身となった愛すべきふたりの我が子たちには作者自身が自由に名前をつけてあげました。

オリンピック・マスコットが「ナギ」。
パラリンピック・マスコットが「ナミ」。

名前の由来は『古事記』に記された国産み神話に登場する神々である「イザナギ」と「イザナミ」から。

応募時は胸に着けられていた大会エンブレムは権利の関係で使用できず、
それぞれ仮のものに差し替えています。


以下が実際に提出したデザイン案(胸のエンブレムは除く)です。

まずオリンピックのマスコットから。
オリンピック マスコット mascot Tokyo 2020 基本 東京

オリンピック mascot マスコット 競技別 東京 Tokyo 2020
オリンピック マスコット 表情案 東京 2020 Tokyo mascot
【制作意図】

日本最古の漫画とも称される国宝《鳥獣人物戯画》に登場するウサギがモチーフとなっている。今や世界中の人々を魅了し、各国語にもなった日本の「Manga(=マンガ)」文化の原点ともいえる《鳥獣人物戯画》から飛び出したウサギが2020年の東京で新たな進化を遂げ、永遠の友であり、ライバルでもあるカエル(=パラリンピックマスコット)と様々な競技を通してフェアに競い合うことをコンセプトとしてこのマスコットを制作した。

【特徴】
耳には東京都の花であるソメイヨシノの花弁を蒔絵風にあしらい、顔には歌舞伎の隈取を配した。腕には古代の装身具から着想を得た炎の勾玉を装着する。尾の先や背の鬣、手足に燃える炎は日章旗を象徴し、さらにアスリート達の情熱を表す。
性格は所謂ツンデレ。冷静かつ熱い心を持ちながら人懐っこく、心優しい一面も。感情の起伏によって両耳の色彩と花の量が変化する(例:嬉しいときは花が満開。悲しいときは花吹雪など)。


続いてパラリンピックのマスコットがこちら。

パラリンピック マスコット 基本 2020 東京 Tokyo mascot

パラリンピック マスコット 競技別 東京 2020 Tokyo mascot

パラリンピック マスコット 表情案 東京 2020 Tokyo mascot
【制作意図】

オリンピックのマスコットと同様、《鳥獣人物戯画》に登場するカエルがモチーフ。絵巻の中で相撲や射的などを競い合うその躍動感に溢れた姿はまさに日本のマンガ文化の原点であり、運動競技大会(=オリンピック)を想起させ、このマスコットの制作に繋がった。2020年の東京を舞台にしたオリンピックで時空を超えて新たな進化を遂げたカエルがウサギと互いの力を尽くしてフェアに競い合う姿を世界中から集うアスリートと重ねている。

【特徴】
頭に切子細工の富士山を戴き、左右の外鰓は車鬢(歌舞伎の鬘型)および海の波を表す。これは葛飾北斎《神奈川沖浪裏》をモチーフとし、伝統と自然の豊かな日本を象徴する。腕には水の都、東京を表す水の勾玉を装着。カエルであるのに尾が生えているのは進化し続ける東京を表し、関東に生息するトウキョウサンショウウオのモチーフも含むため。
性格は明朗かつ不屈のねばり強さを持つ。感情の起伏により頭の切子細工の色が変化する。


オリンピック パラリンピック マスコット 2020 東京 Tokyo mascot
【オリンピックマスコットとパラリンピックマスコットの関係性】

我が国のマンガ文化の原点といえる《鳥獣人物戯画》の中に描かれたウサギとカエルが抜け出し、時空を超えて2020年の東京に進化した姿で蘇った。永遠の友であり、ライバルでもある両者はオリンピックの舞台で様々な競技を通して互いのベストを尽くして競い合う。哺乳類(陸生)と両生類(水生)、火と水という対極的な存在がスポーツを通して互いを認め、ともに未来へ向けて進化・発展していく多様性を二者の姿に託してもいる。


【私がデザインにこめたもの】
スポーツの祭典ということで、応募規定にも必須であると明記されているとおり、全競技種目のポーズをダイナミックに表現できるようあえてマスコットの手足を伸ばして頭身を上げ、筋肉や関節などの骨格もリアルになりすぎないように配慮しつつ運動力学的に無理のない体型に落とし込みました。

表情もただ朗らかに笑っていることをやめ、競技にのぞむアスリート達を鼓舞するような強い闘志を秘めた眼差しを与えました。その結果、可愛さという点は犠牲となりましたが (マスコットが可愛くなければならないというのもある種の思い込みなわけですが)、オリンピックには相応しい肉体表現が可能となったと自負しています。


【最終候補3案について私の思うこと】
最終候補の3案はどれも手足が短く、ぽっこりふくらんだおなかを持ち、頭でっかちのほぼ二頭身。とても運動に適した骨格をしているようには見受けられません。あのような体型でどうやって競技ポーズを表現するのか正直に言って疑問を感じます(※ここで言及しているのはあくまでマスコットの造形的な問題についてであり、パラアスリートおよび障がいを持つ方々を差別したり誹謗中傷する意図は微塵もないので誤解なきよう願います。以下同様)。あの関節のない短い脚では三輪車は漕げても競技用の自転車はうまく漕げないでしょうし……泳ぐにしても頭が大きすぎて息継ぎもままならず溺れてしまうでしょう。重量挙げも手足が短かすぎる上に大きすぎる頭が邪魔になって頭上まで持ち挙げることは困難です。
全力で地を疾走し、どこまでも高く跳躍し、ぐいぐいと水の中を泳ぎ進むといった躍動感あふれる競技ポーズがどの案からもまったく想像できないのです。

はっきり言うと、最終候補案のマスコットはどれも物産展やゲームショーなどのイベントで商品の脇に立って手を振りながら体を左右に軽くゆすって可愛さをアピールすることには適していても、スポーツイベントのマスコットとしては不適切であると私は思います。
どのマスコットからもスポーツに対する愛や情熱がまるで感じられません。

ひたすら小学生ウケを狙った「流行りのアニメやゲームのキャラに似せた、丸っこくて可愛く分かりやすい」というあざとさだけは随所に嫌というほど感じられるのですが……。一見無邪気で愛くるしい表情を浮かべる3案のマスコット達の背後に「こういったものを与えれば子供は喜んで飛びつくだろう」というマーケティングに毒された大人達の傲慢さが透けて見えるのは私だけでしょうか。

大人達が最終的な決定責任を体よく放棄する妙案として子供達に投票させるという縛りを課したがためにデザイン案を制作する側もそれを選ぶ側も「とにかく子供にウケなくては投票が盛り上がらないし、グッズも売れない」という目先の損得で頭がいっぱいになり、これが国際的なスポーツの祭典のマスコットであるという肝心な視点がまるっきり抜け落ちてしまっているのは実に短絡的であり、残念以外の何物でもないと私は考えます。


遅ればせながら3DS版『ドラゴンクエストXI』にどっぷりとハマり、つい先日、クリア(邪神撃破まで)いたしました。
この文章を綴っている最中も素晴らしいエンターテインメントを味わい尽くした後に訪れる何ともいない喪失感と寂しさ、いわゆる「ドラクエロス」に苛まれております。
発売当初は全然プレーする気はありませんでした。
Nintendo 3DS自体、持っていませんでしたし。
これほどドラクエに心を奪われたのは実に小学生の頃以来ではないかと思います。

私はファミリーコンピュータ用ソフトとして発売された第一作からリアルタイムで熱中した世代ですが、年齢が進むにつれてゲームをする時間が読書に変わり、いつしか「分別ある大人」を演じていたわけです。

それがどういうわけか、近所のイオンでソフトと2DSLL本体の同梱版『はぐれメタルエディション』と遭遇。
そのデザインの美しさに惹かれて衝動買いしてしまいました。
庶民感覚では「衝動買い」するには少々高い買い物ですが、あまり躊躇することもなく純粋に「欲しい」と思ってしまうほどそのゲーム機のデザインは細部まで作り込まれており、購買意欲をそそるものだったのです。

久しぶりの携帯ゲーム機をぎこちなく触りながら(タッチペンがどこに収納されているのかとまどってしまうあたり、かなり重症ですね)ACアダプタ(別売り)を繋ぎ、ソフトを差しこんで電源を入れます。

おなじみのタイトルロゴとテーマ曲が流れると心は一瞬にして少年時代に帰りました。
母親に「もういい加減やめなさい! ゲームばかりしてるんじゃない!」などと罵られながらもブラウン管テレビの前を離れられなかったかつての自分、ノートにちゃんと書き取ったはずのドラクエIIの「ふっかつのじゅもん」が間違っていて何度入力してもゲームが再開できず絶望にむせび泣いたあの日の自分……などなどが走馬灯のように脳裏を駆け巡りました。

さて、個人的な昔話は置いておくとして、今作についてプレーした感想です。
一言で申し上げると、すばらしい完成度でした。
シリーズ11作目にしてこの瑞々しさは驚くほかありません。
堀井雄二氏のシナリオ、鳥山明氏のキャラクターデザイン、すぎやまこういち氏の音楽が創り出す世界観が秀逸なのはもはや言うまでもないのですが、本作の開発に携わったすべてのスタッフの方々の『ドラゴンクエスト』というタイトルに対する並々ならぬ深い愛が随所に溢れている名作に仕上がっていると思います。
ゲームバランスも良いので敵が強すぎて先に進めなくなったり、レベル上げが苦痛ということもなく、次にどこに行って何をすればいいのかの情報が親切すぎるほど示されるのでついつい中断するタイミングを失ってプレーし続けてしまいます。おかげでクリアまでずっと寝不足の日々が続きました。仕事中もゲームの続きが気になってソワソワしてしまったあたりかなりの重症だったと思います。仕事を早く終えて続きをプレーしたいゲームがあるなんて本当に小学生以来なかったことです。それだけ今回のドラクエの完成度が高いということですね。ただ往年のプレーヤーからするとこのストレスのない親切すぎる設計のために難易度が低く感じられ、RPGとしては歯ごたえがないと評価されてしまうかもしれません。時間のない社会人の方にはサクサクプレーでき、クリアまで心地よい満足感を得られる絶妙な設計だと私個人は思います。

さらに3DS版では画面表示を3Dと2Dに切り替えることができるので、2Dにするとファミコン時代からの懐かしい画面でプレーすることができます。往年のプレーヤーからすると、2D画面の方がドラクエをプレーしている実感がわくかもしれません。3D表示は俯瞰ができないために表示される角度によってかなりの死角ができてしまい、建物や洞窟内では画面を大きく旋回させて全体を見なくてはいけないことが多いため、人によっては目が回ってしまうかもしれません。

それから3DS版だけのサブゲームである「時渡りの迷宮」ですが、簡単に言ってしまうとドラクエの過去作(I~X)までの世界を記した冒険の書が何者かに書き換えられてしまい、それが原因でそれぞれの世界で様々な問題が生じており、その問題を解決(クエスト)していくという内容です。つまりプレーヤーは冒険の書に入り込むことで過去作の世界を訪れることができます。あくまでミニゲームということでワープした先の町や城、洞窟の外には出られませんが、発売当時を再現したドット絵の画面や電子音によるBGMなど過去作をプレーしている数が多ければ多いほど懐かしさが感じられてよりいっそう楽しめることでしょう。

では、次にXIの本編ストーリーについて触れたいと思います。
以下ネタばれになりますので、まだプレーしていない方はご注意ください。


今作でナンバリング・タイトルとしては11作目(10作をひと区切りとして新たな1作目)ということで、原点回帰を意図したのだと思われるのですが、ストーリーの骨子はロトの勇者伝説をベースにしています。物語の舞台となる世界の名がロトゼタシアというのもロト伝説を暗示しているのでしょう。今作のエンディング(裏ボス撃破後)の最後にドラクエIIIのオープニングのシーンを持ってきていることから、時系列で言うと最新作でありながら最古の物語となっています。過ぎ去りし時を求めた後(後述)でフィールドや空飛ぶ乗り物(ケトスという名の翼の生えたクジラ)、裏ボスである邪神ニズゼルファ戦のBGMにドラクエIIIの曲を用いているのは上記のことをプレーヤーに想起させる狙いがあるのでしょう。ケトスが邪神の結界を破る新たな力を得る際に流れた不死鳥ラーミアのテーマを耳にした瞬間にファミコン時代からプレーしていた方は思わず鳥肌が立つはずです。単なる使い回しと言われればそれまでなのですが、本作では随所に過去作の曲をアレンジしたものがBGMとして用いられており、どことなく過去作を想起させるシーン(IVの武闘会のBGMがグロッタの仮面武闘会で用いられるなど)で流れると思わずニヤリとしてしまう方も多いはず。

本作の魅力は何と言ってもキャラクターにつきると思います。
特に女性達の魅力が際立っています。
主人公の母親ペルラ、幼馴染のエマから始まって、ドラクエXIは「女性達の物語」と言っても過言ではありません。
旅の仲間となるベロニカ、セーニャ、マルティナの3名は物語を進める上で主人公以上に大きな役割を担っていると言えるでしょう。
性を軽やかに超越したシルビアを除いた男性キャラの影が薄い一方で、サブキャラである人魚の女王セレン、ドゥルダ郷のニマ大使、クレイモランの女王シャールと氷の魔女リーズレット、伝説の賢者セニカなど、それぞれ生き方は違えど美しく気高い女性達が多く登場し、物語を彩ります。

プレーヤーの分身である勇者の容姿は現代日本を象徴しているのか細身でサラサラヘアの草食系男子。所謂イケメンではあるのですが勇者らしい凛々しさや力強さはなく、常にどこかぼんやりした純朴な青年という印象です。ストーリーに能動的に関わっていくというよりはどちらかというと受身で、上記の魅力的な女性達に導かれるままにストーリーが進行し、結果として世界を救ってしまったという村上春樹氏の小説に登場する主人公的な印象を受けたのは私だけでしょうか。魔王ウルノーガを倒すまではドラクエ定番のまったく捻りのない一本道のストーリーをひたすら進みます。

そして、今作のサブタイトルである「過ぎ去りし時を求めて」ですが、その意味が分かるのは魔王を倒してエンディング(仮)を迎えた後のことです。「まさかそう来るとは!」と思わず唸ってしまいました。ドラクエIIIのサブタイトル「そして伝説へ…」でもそうでしたが、副題の意味が分かる瞬間に深い感動がやってくるのはさすが堀井雄二氏だなと改めて思います。その「過ぎ去りし時を求めて」の具体的な意味はというと……

勇者たちは魔王を倒して世界に平和をもたらしたものの、その達成の過程で魔王の野望により命の大樹が地に落とされロトゼタシアは崩壊の危機に瀕し、仲間であるベロニカをはじめ多くの命が失われてしまった。かつて天空にあり、神の民が暮らしていた遺跡を探索するうちにプレーヤーは勇者の力と剣で時のオーブを壊すことにより、命の大樹が落ちる前に時をさかのぼってもう一度、犠牲者を出さない(ベロニカの死亡を回避する)形での世界の救済をやり直せるチャンスがあることを知る。ただし、時をさかのぼれるのは勇者のみ。一度時をさかのぼれば元の時空には二度と戻れない。しかも命の大樹が落ちる以前の時に確実にワープできる保証はなく、下手をすると時空の渦に巻き込まれて時の狭間を永遠にさまようはめになるかもしれない。それでも過ぎ去りし時を求める覚悟があるか?

と、クリア後にプレーヤーは世界を改変する大きな選択を迫られるわけです。

さらにここで泣かせる演出があるのですが、時のオーブを壊して過ぎ去りし時を求めることを決意した勇者の前に仲間達が立ちはだかり、「行かないでくれ」と引き止めます。ベロニカだけではなく勇者(あなた)まで失うわけにはいかない。多大な犠牲を伴ったとはいえ魔王を倒し、ロトゼタシアは平和になった。あなたは勇者としての役割を立派に果たした。もうそれで十分じゃないかと。彼等の言うことにはどれも説得力があるので、プレーヤーとしては思わず「うーむ」と考えさせられてしまうわけです。わざわざリスクをおかしてまで時をさかのぼり、もう一度世界を救うことをやり直す必要が果たしてあるのだろうかと。もちろん、この時点でゲームを終わらせて「クリア」とすることはできます。ですが、それだと堀井氏がサブタイトルにこめた真の意味は不明のまま、完全なクリアが達成されたとは言えません。

やはりというか当然というか、プレーヤーとしては過ぎ去りし時を求めざるを得ません。

勇者(あなた)の決意がかたいことが分かると仲間達はそれぞれに別れの言葉を述べながら時のオーブが設置された祭壇への道を譲ります。なかでもセーニャの一言「また私を……(過去の世界で)探し出してくれますか?」という台詞にはグッときました。ドラクエIVの勇者の旅立ちやVのパパスとの別れでも思ったのですが、堀井氏はこういう辛く切ない別離の演出が抜群に上手い方ですね。

さて、時のオーブを勇者の剣で砕いて過去へとワープするわけですが、果たして勇者は命の大樹が落ちる以前(過ぎ去りし時)へと無事たどりつけるのか。そしてその時点から魔王の野望を挫き、ベロニカを失うことなくロトゼタシアに真の平和をもたらすことができるのか。さらに魔王ウルノーガがなぜ生まれたのか。魔王の倒された世界に新たに忍び寄る強大な闇……すべての謎が解けるとき、プレイヤーにはさらなる感動が訪れます。
 この続きは本作をプレーしてご自身の目でお確かめ頂ければと思います。

 ご興味を抱かれた方は是非。


ソフトは同梱されていますが、ACアダプターは別売りなので注意。











アイテムの取り逃しなどが気になる方やクエストを制覇したい方は必携。
ふしぎな鍛冶の素材の在り処やモンスターリストもとても役立ちました。

プレステ4版もプレイしたいのですが、残念ながら現在お金と時間に余裕がありません。
これを読んでプレステ4版もプレーした気になる……わけないですよね。

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