nakaji art

我が心と身体が捉えた美について

運営者の心と身体が日々の暮らしの中で「美しい」と感じたモノやコトを紹介するブログです。
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「私って、なんで生きてるのかな?」

人生があまりうまくいっていなかったり、
毎日がとてつもなく退屈だったり、
学校や職場でいじめられたり、孤独を感じていたりすると、
ふとそう考えて悩んでしまうことってありますよね。

それからこうも考えてしまいます。

「私の生きている意味って何?」

この問いをさらに突き詰めると……

「世の中には生きている意味のある人とない人がいるにちがいない。じゃあ、どういう人が生きるに値する人なのだろう? やっぱり社会のため、人々のために何かしらの役に立っている人が生きるに値するんじゃないか……そう考えたら、とりたてて特別な才能もなく、目に見えるような社会貢献を何もしていない自分には生きる意味も、人としての価値もないにちがいない……」

そして、暗い気分で周囲を見回して、自分よりも遥かに「輝いて見える人」を目にしてさらに落ち込むことになるわけですね。

「好きなことを仕事にできて、そのうえお金もいっぱい稼げている人が羨ましい」

「社会に貢献できるような立派なことを成し遂げている人の笑顔が眩しい」

「多くの人々を魅了する容姿や才能を備えた美男・美女が羨ましい」

「最愛のパートナーと大恋愛の末に結婚できた友人・知人が妬ましい」


「リア充感バリバリのSNSにフォロワーがわんさかいて、〈いいね!〉をガンガンもらえるインフルエンサーがめちゃくちゃ幸せそうで見るのがツライ」

……それにひきかえ、自分はなんて〈無価値〉なのだろう……。


私みたいな何の取り柄もない生産性のない人間は世の中に存在しても迷惑になるだけだ……存在そのものが間違いなのだ……もういっそ死んでしまった方が自分のためにも世の中のためにもなるんじゃないか……。

ちょっと、待った!

そもそも、生きることに意味のあるなしを求めること自体がおかしくないですか?

たとえば、日向で気持ちよさそうに寝ている猫を眺めてみましょう。
眠る猫

猫はおそらく「生きる意味」などということを考え、思い悩んで日々を生きてはいないでしょう。

人々から忌み嫌われているゴキブリは自らの容姿にコンプレックスを抱き、自身の存在意義と社会貢献について苦悩しているでしょうか?


高度な知能を備えた人間を猫や昆虫と一緒にするなという意見もあるでしょう。

でも、知能が高いことが生物の生存にとって必ずしも有利とは限らないと私は思うのです。

現に人間は自身の存在価値というありもしない概念に固執し、苦悩するあまりに精神を病み、自ら命を絶つという生物の生存本能とは真逆の行為によって己を破壊してしまうことがあります。

子孫繁栄という本能に従って生きる動植物から見たら、自ら死を選ぶ生き物なんて愚か者以外の何物でもないことでしょう。

「生きる意味(価値)」などという概念自体が人間の脳がこしらえた幻でしかないわけです。

そんな幻覚に囚われて思い悩み、命を絶つなんて実にバカバカしいと思いませんか?

もっと言ってしまえば、「自分」というものも脳の作り出した錯覚にすぎません。

そんなことはない! 自分は自分。ほら、このとおり自分の心と体ならちゃんとあるじゃないか!
と反論される方もおられるでしょう。

でも、あなたが「自分」だと認識している(つもりになっている)肉体も新陳代謝により日々新しく細胞が生まれ変わり、7年も経てば今のあなたを構成している細胞はほとんど入れ替わり、もはやどこにも残っていないでしょう。

当然のことながら細胞が入れ替われば脳の作用としての精神も新陳代謝が進むわけで、過去の「自分」と今の「自分」は同一ではありません。

さらに人間の場合は生活環境の変化によっても性格が大きく変わります。

「自分」という永遠不滅の魂のようなものがどこかにあって、それが生まれてから死ぬまでずっと変わることなく存続している科学的な保証などどこにもありません。

そんな脳の錯覚に囚われて思い悩み、命を絶つなんて実にバカバカしいと思いませんか?


ということで、結論です。

「自分」というものは単なる脳の錯覚に過ぎず、
「生きる意味」というものも人間の思い込みに過ぎません。

だから、そのような錯覚と思い込みについて真剣に悩むだけ時間の無駄なので、まだ死んでいない以上は命が尽きるそのときまで、ただ淡々と日々を生きるということが正解だと私は思います。

それでも「悩んじゃう!」という真面目な方は
肩の力を抜く意味でも以下の本がおすすめかと。

さよなら私 (角川文庫)
みうら じゅん
KADOKAWA
2013-01-24


現在、夏休み真っ盛り、夏といえば読書でしょ!ということで、
以下の作品がAmazon kindleにて、無料キャンペーン中でございます。
期間は5日間限定ですので、ご興味を抱かれた方はこの機会にダウンロード頂けると嬉しいです。
 
星の眠る場所
中島隆善
空白書房
2012-11-03


天文学者の恋
中島隆善
空白書房
2012-12-19






火群の壺 〈美術捜査官マリア Vol.2〉
中島 隆善
空白書房
2016-07-16


二階の恋文屋
中島隆善
空白書房
2012-11-03




ピュグマリオンの恋人
中島 隆善
空白書房
2014-01-11

 

小説『死神食堂』表紙

久しぶりに電子書籍で作成した書き下ろし長編『死神食堂』ですが、

実はこの拙著は小学館の主催する「第三回日本おいしい小説大賞」に応募していたものです。

まあ、言ってみれば〈落選作〉なわけですが、
書いている最中は筆者自身、ノリノリのウキウキでとても楽しく、どんなに親バカと揶揄されようとも大切にしている我が子(作品)でしたので、
なんとか世に出せないものかしら……と思い、キンドル電子書籍にて自主出版と相成りました。

以下が本の紹介(あらすじ)です。

料理を得意とする死神の「俺」は間もなく死を迎える人間の下を訪れるといつもこう切り出す。

「おまえの魂を頂く代わりに人生の最後に食いたい料理を何でも食わせてやろう」と。

そして望み通りの料理を自慢の腕を駆使して振る舞う。それは死に行く者への憐れみや同情からではない。

死を前にした人間達へ最後にして最高のディナーを供することでその心を満たし、死後の魂を美味なるものとするために他ならなかった。

様々な臨終の場面に立ち会い、人々の記憶の中に眠る思い出の一品を記した「レシピ」を探り出して料理を振る舞う日々の中で、俺は人間達が最期に何を口にしたいのかを知ることを通して「料理を作り、それを食べるとは?」「生きるために他の命を殺して食べるとは?」について思いを巡らせる。

そんなある日、俺はビルから飛び降りようとしていた佐藤珠美という女と出逢う。

命を絶つ前に彼女の所望する極上のフレンチトーストを俺が作って食べさせたところ、その余りの美味しさにすっかり死ぬ気を失った珠美は死神が棲み処としていた家に身一つで転がり込み、強引に共同生活を始めてしまう。

俺は戸惑いながらも珠美の天真爛漫さと食に対する情熱に心を許していき、彼女の提案によって、客が最後の晩餐として食べたい料理を自由に注文できる食堂「メメント・モリメシ」を開業することになるが……。

あなたが人生の最後に食べたいものは何ですか?

料理好きの死神によるハートフルでおいしい、前代未聞、異色のグルメ・ホラー小説!

ご興味を抱かれた方は是非。

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